晦《くら》ましたいという弱味があるので、彼女は容易に手をくだす機会を見いだし得ないで苛々《いらいら》しているうちに、彼女に取っては都合のいい相手があらわれた。それは下総屋の番頭の吉助であった。
 吉助はお駒の馴染客であるので、無論にお定とも心安くしていた。心安いばかりでなく、それ[#「それ」に傍点]者《しゃ》あがりのお定の年増姿がかれの浮気を誘い出して、お駒がほかの座敷へ廻っているあいだに、時々に飛んだ冗談を云い出すこともあった。胸に一物《いちもつ》あるお定は結局かれになびいて、宿《しゅく》の或る小料理屋の奥二階を逢曳きの場所と定めていた。客のひとりを自分の味方に抱き込んで置かないと、目的を達するのに不便だということを彼女はふだんから考えていたからである。こうして先ず味方が出来た。しかもその味方が三月十二日の夜、月こそ変れ松蔵が召捕られた当日に遊びに来たので、今夜こそはとお定は最後の覚悟をきめて、座敷の引けない間に努めて吉助とお駒とに酒をすすめた。
 二階じゅうが大抵寝静まった時刻をうかがって、お定はそっとお駒の部屋へ忍び込んだ。正体なく眠っている仇の枕もとへ這い寄って、そこに有り合わ
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