両じゃあしようがない。いや、隠しているんじゃない。疑うなら出してみせる」
 話し声はひとしきり途切れて、暗いなかで金をかぞえているらしい音が微かにきこえたかと思うと、だしぬけに床几《しょうぎ》の倒れるような物音が響いた。つづいて男の唸り声もきこえたので、半七は隣りの葭簀《よしず》を跳ねのけて出ると、出あいがしらに女と突き当った。女は転げるように往来へ駈けぬけてゆくのを、半七は跣足《はだし》になって追いかけた。二、三間のうちに追い付かれて、食いついたり、引っ掻いたりして必死に反抗した女は、とうとう泥だらけになって土の上に引き伏せられた。かれはいうまでもない、お定であった。
 吉助は茶店のなかに縊《くび》られていた。お定は番屋へ引っ立てられると、もう尋常に覚悟を決めてしまったらしく、何もかも素直に白状した。
 お定は以前|板橋《いたばし》で勤め奉公をしていた者で、かの石原の松蔵の情婦であった。土地の大尽《だいじん》を踏み台にして身請《みう》けをされて、そこから松蔵のところへ逃げ込んで、小一年も一緒に仲よく暮らしているうちに、男は詮議がだんだんむずかしくなって来たので、女にも因果をふくめて、
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