くれる者がございませんから」
 夫のかたきを討つ……この時代に於いては大いに憐愍《れんびん》の御沙汰を受くべき性質のものであった。事情によっては或いは無罪になるかも知れなかった。しかしかれは罪人の妻で、人を恨むのは逆恨《さかうら》みである。殊に上《かみ》に対して御奉公を相勤めた伊勢屋のお駒を殺したのである。お駒ばかりでなく、吉助までも手にかけている。その罪重々であるというので、お定は引廻しの上で獄門に晒《さら》された。

「これまでにも密訴したものに仕返しをするということは時々ありましたが、それは悪党の仲間同士に限ることで、召捕りの助勢をした素人に対して仕返しをするなどというのは珍らしいことですよ」と、半七老人は云った。「殊にそれが女だから驚きます。今までの話で大抵お判りでしたろうが、わたくしは最初からお定に眼をつけていたんです。石垣の下で拾ったお駒の草履は、その鼻緒の曲がった足癖と、底の減りぐあいとで、右の足に穿き慣れたものだということがすぐに判りました。お駒が松蔵に投げたのは左の草履で、その肝腎の左の方が見えなくなって、右のだけが捨ててあるのはちっとおかしい。潮に引き残されたなら論はないが、さもなければ何か草履に縁のある……つまり松蔵に縁のある奴がお駒に仕返しをして、右の足だけをそこに打っちゃって置いて、左の方だけを持って行ったんじゃないかと、わたしはふっと考え出したんです」
「そこで、張子の虎の方はどうなんです」と、わたしは訊《き》いた。
「お駒の枕元に置いてあった張子の虎、これも松蔵になにか縁があるんじゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保元年の庚寅《かのえとら》年の生まれということが判りました。寅年の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌《いはい》代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかと鑑定されます。この二つの証拠が揃ったので、もっぱら松蔵にかかり合いのある奴を探索にかかりましたが、下手人《げしゅにん》はどうも外から入り込んだ形跡がない。その晩の客か、家内の者か、その判断がよほどむずかしいのですが、お定という下新造がお駒と特別に仲良くしていたというのが却《かえ》って疑いのかかる本《もと》で、もう一つには、松蔵が処刑になった後から伊勢屋に住み込んだものはお定一人しかないというのが手がかりで、だんだんその身分を洗いあげているうちに、前にお話し申したような順序で、とうとう本人を引き挙げてしまったんです。伊勢屋の仏壇にしまって置いた張子の虎は、やはりお定が盗み出したもので、ほとぼりのさめた頃にそっと松蔵の墓に埋めて来る積りであったそうです。いよいよ処刑になる時に、当人が最後の願いを聞きとどけられて、お定は紙でこしらえた数珠《じゅず》のはしに其の小さい虎をぶら下げて、自分の首にかけながら引き廻しの馬に乗せられました」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年10月19日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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