いったのは芝源助|町《ちょう》の下総屋《しもうさや》という呉服屋の番頭吉助で、かれは店者《たなもの》の習いとして夜なかに早帰りをしなければならなかった。いつもの事であるから相方《あいかた》のお駒も心得ていて、中引け前にはきっと起して帰すことになっていたのであるが、その晩はお駒も少し酔っていた。吉助も酔って寝込んでしまった。吉助は夜なかにふと眼をさまして、喉が渇《かわ》くままに枕もとの水を飲んで、それから煙草を一服すったが、二階じゅうはしん[#「しん」に傍点]と寝静まって夜はもう余ほど更けているらしい。これは寝すごしたと慌てて起き直ると、いつも自分を起してくれるはずのお駒は正体もなく眠っていた。
「おい、お駒。早く駕籠を呼ばせてくれ」
云いながら煙管《きせる》を煙草盆の灰吹きでぽん[#「ぽん」に傍点]と叩くと、その途端に彼は枕もとに小さい物の影が忍んでいるのを発見した。うす暗い行燈《あんどう》の光りでよく視ると、それは黄いろい張子の虎で、お駒の他愛ない寝顔を見つめているように短い四足《よつあし》をそろえて行儀よく立っていた。宵にこんな物はなかった筈だがと思いながら、彼はそれを手に取ってながめると、虎は急に眼がさめたように不格好な首を左右にふらふらと揺《ゆる》がした。しかしお駒は醒めなかった。彼女はいつのまにか冷たくなって永い眠りに陥っているのであった。それを発見した吉助は張子の虎をほうり出して飛び起きた。彼はふるえ声で人を呼んだ。
大勢が駈け集まってだんだん詮議すると、お駒は何ものにか絞め殺されていることが判った。正体もなしに酔い臥《ふ》していた吉助は、そばに寝ているお駒がいつの間に死んだのかを知らないと云った。しかし一つ部屋に居合わせた以上、かれは無論にそのかかり合いを逃がれることは出来ないで、諸人がうたがいの眼は先ず彼の上に注がれた。場所といい、事件といい、主人持ちの彼に取っては迷惑重々であったが、よんどころない羽目《はめ》と覚悟をきめたらしく、かれは検視の終るまでおとなしくそこに抑留されていた。
伊勢屋の訴えによって、代官伊奈半左衛門からの役人も出張した。夜のあける頃には町与力《まちよりき》も出張した。品川は代官の支配であったが、事件が事件だけに、町方も立ち会って式《かた》のごとくに検視を行なうと、お駒はやはり絞め殺されたものに相違なかった。
かれの首に
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