眉を寄せた。「そこで、そのお浪という女には悪い足でもあるのかえ」
「どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めがいやだと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこがおかしいので……」
「まったくおかしい、なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね」
「ほかには何もないようです」
「よし、判った。それもなんとか手繰《たぐ》り出してやろうから、主人によくそう云ってくれ」
「なにぶん願います」
与七は雨のなかを急いで帰った。材料はいつも三題噺《さんだいばなし》のようになる。重ね草履と張子の虎とお浪の駈け落ちと、この三つの材料を繋《つな》ぎあわせて、半七はしばらく考えていた。商売上の妬《ねた》みか、又はなにかの遺恨で、お浪がお駒を絞め殺したと仮定する。宿場《しゅくば》かせぎの女郎などは随分そのくらいのことは仕兼ねない。相手を殺して素知らぬ顔をしていたが、なにぶんにも気が咎めるので、とうとう居たたまれなくなって逃げ出した。それも随分ありそうなことである。しかし張子の虎が判らない。お浪が何のためにそれを盗み出したか。この理窟が考え出せない以上は、謎はやはりほんとうに解けないのであった。
午過ぎになって、多吉がきまりの悪そうな顔を見せた。かれの探索は半七の註文通りになかなか運ばないのであるが、その一部だけはどうにかこうにか洗い上げて来て、親分の前へ報告した。
「いや、御苦労。それで大抵あたりは付いたが、もうひと息のところだ。踏ん張ってやってくれ」と、半七は更になにかの注意を彼にあたえて帰した。
日が暮れるころに半七は伊勢屋へゆくと、お定は入口に立っていた。
「今晩は」と、かれは半七を見るとすぐに挨拶した。
「とうとう降り出したね」と、半七は傘のしずくを払いながら云った。「お浪がまた駈け出したというじゃあねえか」
「ほんとうにいろいろのことが続くので、なんだか忌《いや》な心持でなりません。家《うち》の人たちはお浪さんが殺したのだなんて云っていますけれど……」
「そりゃあ間違いだ。そんなことがあるもんじゃねえ」と、半七は笑いながら打ち消した。
「そうでしょうか」と、お定はまだ不安らしい顔をして、相手の眼色をうかがっていた。
「そうじゃあねえ。お浪がなんで人殺しなんかするもんか」
「そう
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