にしまって置いた草履です」
「むむ、あれか」と、与七[#「与七」は底本では「半七」]もうなずいた。「なるほど、そうです。きっと、あのときの草履でしょう」
 それは室積藤四郎が石原の松蔵を召し捕ったときに、お駒が二階から投げつけた草履であると、二人は代るがわる説明した。奉行所から御褒美を賜わって稀代の面目を施したお駒は、一生の宝としてその草履を大切に保存して置いた。お定の話によると、お駒はそれを水色|縮緬《ちりめん》の服紗《ふくさ》につつんで、自分の部屋の箪笥の抽斗《ひきだし》にしまって置いたのを、去年の暮の煤掃《すすはき》の時にうやうやしく持ち出して見せたことがある。それは随分穿き古したもので、女郎の重ね草履といえばどれもこれも一つ型であるが、鼻緒の摺《す》れ工合などに確かに見おぼえがあるとお定は云った。
「だが、まあ念のためにお駒の部屋を調べてくれ」
 半七は二人を連れて再び裏二階へあがって行った。お駒の部屋にはたった一つの箪笥がある。その四つ抽斗の二つ目の奥から水色縮緬の服紗だけは発見されたが、草履は果たして紛失していた。何者かがその草履をぬすみ出して、※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓から海へ投げ込んだに相違ないとは、誰でも容易に想像されることであるが、半七が発見したのはその片足で、ほかの片足のゆくえは判らなかった。
「たびたび気の毒だが、もう少し手伝ってくれ」
 与七を下へ連れ出して、半七は彼にも手伝わせて石垣の下を根《こん》よく探しまわったが、草履の片足はどうしても見付からなかった。おおかた引き潮に持って行かれたのであろうと、与七は云った。そうかも知れないと半七も思った。片足は大きい石のかげに支《つか》えていたために引き残された。そんなことがないとも云えないと思いながら、半七の胸にはまだ解け切らない一つの謎が残っていた。しかし、もうこの上には詮議のしようもないので、かれは鼻緒のゆるみかかった草履の片足を与七に渡して帰った。
「これも何かの役に立つかも知れねえ。しっかりとあずかって置いてくれ」

     三

「草履の片足はとんだ鏡山《かがみやま》のお茶番だが、張子の虎が少しわからねえ」
 半七は帰る途中で考えていたが、それから番屋へ行って聞きあわせると、下総屋の番頭吉助はなにを調べられても一向に知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通しているのと、かれ
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