はいよいよ強くなって、再びお綱に見つけられたが最後、今度こそはおそらく自分の命を奪《と》られるであろうと恐れられた。かれは実に生きている空もなかった。
こうした不安の日を送るうちに、彼は大川端で偶然に半七に出逢った。半七の方では彼を識らなかったが、徳三郎の方ではその顔を見識っていたので、いっそ此の事情を何もかも打ち明けて彼の救いを求めようかと思ったが、やはり気怯《きおく》れがしてとうとう云いそびれてしまった。しかし運命はだんだんに迫って来た。お綱は根《こん》よく江戸じゅうを探しまわっているうちに、娘が河内屋に忍んでいることを此の頃いよいよ覚ったらしく、そこらに度々さまよっているばかりか、現に河内屋の番頭や小僧が蛇神の祟りを受けたという事実を見せられて、徳三郎の恐怖はもう絶頂に達した。彼は身のおそろしさの余りに、更に怖ろしい決心をかためて、今度お綱に出逢ったならば、いっそ彼女を殺してしまおうと思いつめた。徳三郎は短刀を買って、それをふところにして毎日|商《あきな》いに出あるいていた。
彼が借りている荒物屋の二階へ今夜もお熊が忍んで来て、二人にとっては重大の問題がまた繰り返された。徳三郎は短刀を女にみせて、自分の最後の決心を打ち明けた。併《しか》し自分も好んでそんなことをしたくない。人を殺したことが露顕《ろけん》すれば自分も命をとられなければならない。ここでお前がわたしのことを思い切って、すなおに母の手に戻ってくれれば三方が無事に済むのである。どうぞこれまでの縁とあきらめてくれと、彼はいろいろにお熊を説きなだめたが、女は強情に承知しなかった。彼女は泣いて泣いて、ものすごいほど狂い立って、いきなり男の短刀を奪い取って、自分の乳の下に深く突き透したのである。蛇神の血をひいた若い女は、こうして悲惨の死を遂げた。
「さりとは残念なこと。もう少し早くば、その娘だけは助けられたものを……」と、ふたりの武士はこの悲しい恋物語を聞き終って嘆息した。「この上はなにを隠そう、われわれはその蛇神の女と同国の者でござる」
彼等もやはり西国の或る藩士で、蛇神のことはかねて知っていた。このごろ江戸じゅうをさわがす怪しい甘酒売りの女は、どうしても彼《か》の蛇神に相違あるまいと、江戸屋敷の者もみな鑑定していた。ついては早晩《そうばん》その女が捕われ、なにがし藩の領分内にはそんな奇怪な人種が棲んで
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