郎兵衛と同国者で、かれは四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊にかれは備前屋の娘を救うために大怪我までしているのであるから、熊の一件とは逃がれられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、かれは痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売り込む相談について、かれは一旦|躊躇《ちゅうちょ》したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭に話してみようと受け合った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持ち込んでくれと掛け合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺《まくらべ》ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引き取ってもいいと四郎兵衛は云った。
 その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新らしく掘った土は更に何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、かれは一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々《なまなま》しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いということを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘り出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いてがっかり[#「がっかり」に傍点]した。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、彼等はなんにも知らないと云った。いくら、真《ま》っ紅《か》になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚に過ぎないことになってしまった。

     四

 六三郎が伝吉と百助とを疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、彼等のあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣《なめ》してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物を彼等ふたりに着服《ちゃくふく》されるのは、あまりに忌々《いまいま》しいと思ったので、かれは車力の百助のところへ度々催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼《か》の百助は熊の皮を持って六三郎の家へたずねて来た。
 皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそっちで引き取って、自分たち二人には骨折り賃として三両の金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣もほろろ[#「ほろろ」に傍点]に跳《は》ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながらも、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追い付いて、かれは百助を引き戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振り切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で掴みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取り戻してしまおうとあせって、六三郎はかれの手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取り返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
 こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、彼等もびっくりして見かえると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引き起そうとすると、彼女はあたかも彼《か》の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう、片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血《なまち》が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は後難を恐れて先ず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引っ返して来て、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
 お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人《げしゅにん》は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申し立てに詐《いつわ》りがありそうに
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