入れて、女を自分の方へ引き取ることにした。のこる半金の十五両は去年の大晦日までに渡す約束であったが、とてもその工面《くめん》は付かないので、彼は同類の甚右衛門にたのんだが、甚右衛門は素直に承知しなかった。
「おれのところへそんな事を云って来るのは間違っている。神田の近江屋か石坂屋へ行け」と、かれは情《すげ》なく跳ねつけた。
 しかし近江屋へは今までたびたび無心に行っているので、豊吉もさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。よんどころなく品川の方へは泣きを入れて、七草の過ぎるまで待って貰うことにしたが、豊吉自身の手では正月早々にその工面のつく筈はないので、かれは大雪の小降りになるのを待って、三日ひるすぎに再び甚右衛門の宿へ訪ねてゆくと、町内の角であたかも彼の帰ってくるのに出逢った。豊吉はよんどころない事情を訴えて、かさねて金の無心をたのむと、甚右衛門はやはり承知しなかった。それでも豊吉が執拗《しつこ》く口説くので、甚右衛門も持て余したらしく、そんなら神田の近江屋へ行っておれが一緒に頼んでやろうということになって、二人は雪のなかを神田の鉄物屋まで出向いて行った。
 近江屋には同類の石坂屋由兵衛と錺職の源次とが年始に来ていた。丁度いいところだと奥へ通されて、日の暮れるまで五人が酒をのんでいるうちに、甚右衛門は豊吉にたのまれた十五両のことを云い出すと、九郎右衛門も由兵衛もいやな顔をした。そして、そのくらいの金は甚右衛門が用立てるのが当然だと云った。この仕事については甚右衛門がふだんから一番余計に儲けているという不平話も出た。なにしろみんな酔っているので、ふた言三言の云い争いからあわや腕ずくになろうとする一刹那に、どうしたのか甚右衛門はうん[#「うん」に傍点]と唸ったままで倒れてしまった。四人もさすがにおどろいて介抱したが、もう蘇《い》きなかった。
「さあ、どうしよう」
 四人は顔を見あわせた。頓死として正直にとどけて出れば論はないのであるが、彼等には何分にもうしろ暗いことがあるので、甚右衛門の死をなるべくは秘密に付してしまいたいと思った。四人は夜のふけるまで甚右衛門の死骸をそこに横たえて置いて、店の者の手前は正体なく酔っている彼を介抱して帰るように見せかけて、豊吉と源次はその死骸を肩にかけて出た。由兵衛も附き添って出た。主人の九郎右衛門もなんだか不安なので、これもそこらまで送ってゆく振りをして後から出て行った。
 大雪の夜は更《ふ》けて、町には往来の絶えているのが彼等のためには仕合わせであった。四人は三、四町ほども死骸をはこび出して、堀端の火除け地に捨てようとしたが、なるべく一日でも後《おく》れて人の眼につくことを考えて、かれらは協力してそこに大きな雪達磨を作った。そうして、甚右衛門の死骸をその底へ深く埋めて置いた。いっそ往来へ投げ出して置いたらば、凍死か行き倒れで済んだかも知れなかったのであったが、かれらの浅はかな知恵が却《かえ》っておのれに禍いして、思いもよらない悪事発覚の端緒を開いたのであった。
 勿論、かれらは甚右衛門のふところや袂から証拠となるような品々をことごとく取り出してしまった。菊一で買った南京玉も無論取り出したのであったが、心が慌てているので其の幾粒かをこぼしたらしい。そうして、その南京玉が彼等を当然の運命に導いたのであった。
 贋金つかいの商人《あきんど》四人と共謀の錺職三人がすべて法のごとくに処刑されたのは云うまでもない。先に死んで刑戮《けいりく》をまぬかれた幸運の甚右衛門は、専ら旅先で贋金をつかっていたのであるが、他の商人四人は江戸市中で巧みに使用したことを白状した。
 しかしその総高はまだ千両に上《のぼ》らなかった。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・なんぼ土産にするといって[#旺文社文庫版「なんぼ土産にするとかって」]
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年7月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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