ばならないが、ともかくも其の雪が正月の二十日頃まで消え残っていたというのから推し量ると、かなりの多量であったことは想像するに難くない。少なくとも江戸に於いては、近年未曾有の大雪であったに相違ない。
 それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい回礼に出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には思い思いの意匠を凝らした雪達磨が、申し合わせたように炭団《たどん》の大きい眼をむいて座禅をくんでいた。ことに今年はその材料が豊富であるので、場所によっては見あげるばかりの大達磨が、雪解け路に行き悩んでいる往来の人々を睥睨《へいげい》しながら坐り込んでいた。
 しかもそれらの大小達磨は、いつまでも大江戸のまん中にのさばり返って存在することを許されなかった。七草《ななくさ》も過ぎ、蔵開きの十一日も過ぎてくると、かれらの影もだんだんに薄れて、日あたりの向きによって頭の上から融《と》けて来るのもあった。肩のあたりから頽《くず》れて来るのもあった。腰のぬけたのもあった。こうして惨《みじ》めな、みにくい姿を晒《さら》しながら、黒い眼玉ばかりを形見に残して、かれらの白いかげは大江戸の巷《ちまた》から一つ一つ消えて行った。
 その消えてゆく運命を荷《にな》っている雪達磨のうちでも、日かげに陣取っていたものは比較的に長い寿命を保つことが出来た。一ツ橋門外の二番御|火除《ひよ》け地の隅に居据《いすわ》っている雪だるまも、一方に曲木《まがき》家の御用屋敷を折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸《けいがい》を保っていたが、藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪まらなくなって脆《もろ》くもその形をくずしはじめた。これは高さ六、七尺の大きいものであったが、それがだんだんとくずれ出すと共に、その白いかたまりの底には更にひとりの人間があたかも座禅を組んだような形をしているのが見いだされた。
「や、雪達磨のなかに人間が埋まっていた」
 この噂がそれからそれへと拡がって、近所の者どもはこの雪達磨のまわりに集まった。雪のなかに坐っていたのは四十二三の男で、さのみ見苦しからぬ服装《みなり》をしていたが、江戸の人間でないことはすぐに覚《さと》られた。男の死骸《しがい》は辻番から更に近所の自身番に運ばれて、町奉行所から出張した与力同
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