ばかりの寺男がいる。そのなかで最も眼をつけられたのは周道であった。かれは年の割に腕っ節が強く、自分でも武蔵坊弁慶の再来であるなどと威張っている。きっとこいつが化け銀杏の振りをして、往来の人を嚇《おど》したのであろうと見きわめを付けられた。
寺社奉行の吟味をうけて、周道は正直に白状した。この寺の銀杏が化けるという伝説のあるを幸いに、彼はときどきに忍び出て、自分の腕だめしに往来の人を取って投げたのである。現に二十四日の雨の宵にも通りがかりの男を投げ倒したことがあると申し立てた。その男は河内屋の忠三郎に相違ない。しかし周道は単にその男を投げ出しただけで、所持品などにはいっさい手をつけた覚えはないと云い張った。何さま逞ましげな悪戯《いたずら》小僧ではあるが、まだ十五六の小坊主が百両の金を奪い、あわせて羽織まで剥ぎ取ろうとは思えないので、彼は吟味の済むまで入牢《じゅろう》を申し付けられた。
周道の白状によって考えると、彼がいたずらに忠三郎を投げ出したあとへ、何者か来合わせて其の所持品を奪い取ったのであろうというので、その探索方を再び半七に云い付けられた。しかしこの探索はよほど困難であった。寺の奴等の仕業ならば格別、単に周道が忠三郎を投げ倒して気絶させたあとへ、あたかも通りかかった者がふとした出来心で奪いとって行ったとすると、差し当りなんにも手掛りがない。半七もこれには少し行き悩んでいると、ここに又一つ事件が起った。
それはこの化け銀杏の下へ女の幽霊が出るというのであった。現に本郷二丁目の鉄物屋《かなものや》の伜が友達と二人づれで松円寺の塀外を通ると、そこに若い女がまぼろしのように立ち迷っていた。さなきだにこの頃はいろいろの噂が立っている折柄であるから、二人は胆《きも》を冷やして怱々《そうそう》に駈けぬけてしまったが、鉄物屋の伜はその晩から風邪《かぜ》を引いたような心持で床に就いているというのである。これも何かの手がかりになるかも知れないと思って、半七はその鉄物屋をたずねて病中の伜に逢った。せがれは清太郎といって今年十九の若者であった。
「おまえさんが見たという幽霊はどんなものでしたえ」
「わたくしも怖いのが先に立って、たしかに見定めませんでしたが、提灯の火にぼんやり映ったところは、なんでも若い女のようでした」
「女はこっちを見て笑いでもしたのかえ」
「いいえ、別にそんなこともありませんでしたが、なにしろ怖いので忽々に逃げて来ました。もう四ツ(午後十時)に近い頃に、女がたった一人で、場所もあろうに、あの化け銀杏の下に平気で立っている筈がありません。あれはどうして唯者じゃあるまいと思われます」
「そうですねえ」と、半七も考えていた。「そこで、その女は髪の毛でも散らしていましたかえ」
「髷《まげ》はなんだか見とどけませんでしたが、髪は綺麗に結っていたようです」
もしや狂女ではないかと想像しながら、半七はいろいろ訊いてみたが、清太郎はふた目とも見ないで逃げ出してしまったので、なにぶんにも詳しい返答ができないと云った。彼は飽くまでもこれを化け銀杏の変化《へんげ》と信じているらしいので、半七も結局要領を得ないで帰った。
「化け銀杏め、いろいろに祟る奴だ」
彼は肚《はら》のなかでつぶやいた。
三
鉄物屋の清太郎が見たという若い女は、気ちがいでなければ何者であろう。おそらく寺の留守坊主に逢いに来る女ではあるまいかと半七は鑑定した。かれは子分どもに云いつけて、その坊主の行状を探らせたが、円養は大酒呑みでこそあれ、女犯《にょぼん》の関係はないらしいとのことであった。女の幽霊の正体は容易に判らなかった。
十二月十六日の朝である。半七が朝湯から帰ってくると、河内屋の番頭の忠三郎が待っていた。
「やあ、番頭さん。お早うございます」と、半七は挨拶した。「例の一件はなにぶん捗《はか》がいかねえので申し訳がありません。まあ、もう少し待ってください。年内には何とか埒《らち》をあけますから」
「実はそのことで出ましたのでございます」と、忠三郎は声をひそめた。「昨晩わたくしの主人が或るところで彼《か》の一軸《いちじく》をみましたそうで……」
「へえ、そうですか。それは不思議だ。して、それが何処にありましたえ」
忠三郎の報告によると、ゆうべ芝の源助|町《ちょう》の三島屋という質屋で茶会があった。河内屋の主人重兵衛も客によばれて行った。その席上で、三島屋の主人がこの頃こういうものを手に入れたと云って、自慢たらだらで出してみせたのが彼《か》の探幽斎の鬼の一軸であった。稲川家の品は忠三郎が途中で奪われてしまって、重兵衛はまだその実物をみないのであるが、用人の話と忠三郎の話とを綜合してかんがえると、その図柄といい、表装といい、箱書《はこがき》といい、どう
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