誇るようにうなずいた。「今じゃあ盛大にやっているようですからね。水原のお父さんの方はわたくしより七つか八つも年下でしょうが、いつも達者で結構です。あの人もむかしは江戸にいたんですが……。いや、それについてこんな話があるんです」
 こっちから誘い出すまでもなく、老人の方から口を切って、水原という横浜の商人と自分との関係を説きはじめた。

 文久元年十二月二十四日の出来事である。日本橋、通旅籠町《とおりはたごちょう》の家持ちで、茶と茶道具|一切《いっさい》を商《あきな》っている河内屋十兵衛の店へ、本郷森川|宿《じゅく》の旗本稲川|伯耆《ほうき》の屋敷から使が来た。稲川は千五百石の大身《たいしん》で、その用人の石田源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると、源右衛門は声を低めて話した。
「余の儀でござらぬが、御当家を見込んで少々御相談いたしたいことがござる」
 稲川の屋敷には狩野探幽斎《かのうたんゆうさい》が描いた大幅の一軸がある。それは鬼の図で、屋敷では殆ど一種の宝物として秘蔵していたのであるが、この度《たび》よんどころない事情があって、それを金五百両に売り払いたいというのであった。河内屋は諸大家へも出入りを許されている豪商で、ことに主人の重兵衛は書画に格段の趣味をもっているので、その相談を聞いて心が動いた。しかし自分の一存では返答もできないので、いずれ番頭と相談の上で御挨拶をいたすということに取り決めて、源右衛門をひと先ず帰した。
「しかし当方ではちっと急ぎの筋であれば、なるべく今夜中に返事を聞かせて貰いたいが、どうであろうな」と、源右衛門は立ちぎわに云った。
「かしこまりました。おそくも夕刻までに御挨拶をいたします」
「たのんだぞ」
 主人と約束して、源右衛門は帰った。重兵衛はすぐに番頭どもを呼びあつめて相談すると、かれらもやはり商人であるから、探幽斎の一軸に大枚五百両を投げ出すというについては、よほど反対の意見があらわれた。しかし主人は何分にも其の品に惚れているので、結局その半金二百五十両ならば買い取ってもよかろうということに相談がまとまった。先方でも急いでいるのであるから、すぐに使をやらねばなるまいというので、若い番頭の忠三郎が稲川の屋敷へ出向くことになった。忠三郎が出てゆく時に、重兵衛
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