女が二人いるそうですが、台所働きはこのごろ雇った山出しの奉公人で、祈祷の方のことは一切《いっさい》その男と小娘とが引き受けてやっているんだそうです」
多吉の報告はそれだけであった。
二
あくる朝になって源次が来た。
「親分。多吉さんの方で面白いことが手に入りましたかえ」
「面白いというほどのことも判らねえが、まあ少しばかり眼鼻をつけて来た。そこで、おめえの方はどうだ」と、半七はすぐに訊いた。
「わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。葺屋町《ふきやちょう》に炭団《たどん》伊勢屋という大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうので、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所|家作《かさく》は持っていて、身上《しんしょう》はなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、ことし二十歳《はたち》になるんですが、俳優《やくしゃ》の河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったというんです」
「その息子も祈祷をたのみに行ったのか」
「久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から性《しょう》の知れない病気でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきいて、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです」
久次郎も世間の噂に釣り込まれて、最初は半信半疑で母のお豊を連れてゆくと、神のように美しい行者はお豊をひと目見て、これは怪しい獣《けもの》の祟りである、自分の祈祷できっと本復させてやると云った。久次郎もそれを信用して、なにぶんお頼み申すと云うと、行者はお豊を神壇の前に坐らせて、一種のおごそかな祈祷を行なってくれた。その効験は著しいもので、お豊はそのあくる朝から神気《しんき》がさわやかになって、七日ほどの後には元の達者なからだに回復した。それだけでも、伊勢屋一家の信仰を買うには十分であって、伊勢屋からは少なからぬ奉納物を神前にささげた。取り分けて久次郎は美しい行者を尊崇した。
かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺めながら云った。
「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお祓《はら》いをなされてはどうでございます」
あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日《いちしちにち》のあいだ日参《にっさん》しろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初めの三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。かれは毎晩かかさず通いつづけていた。
行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日となり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊は絶対に耳を藉《か》さなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家《ごけ》のお豊がひとり息子の後見《こうけん》役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが強《し》いてそれをさえぎるわけには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないのであるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番頭どもは睨んでいた。
そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、この頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼はなんだか魂のぬけた人のようにみえた。権十郎息子の顔色がひどく蒼ざめて来た。
「まあ、こういうわけで、店の若い者や小僧なんぞは、若旦那は気が違ったらしいと云っているんです」と、源次は説明した。
「むむ、気が違ったかも知れねえ」と、半七はほほえんだ。「相手はすばらしく美しい行者というじゃあねえか」
「そうです、そうです。むこうが若い美しい行者で、こっちが権十郎息子というんですからね」と、源次[#「源次」は底本では「源次郎」]も笑った。
しかし半七は笑ってばかりもいられなかった。単にこれだけの事件であるならば、問題は案外に単純であるが、かの怪しい行者は勤王とか討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらしいだけに、半七は迂濶《うかつ》に彼女に手をつけることが出来なかった。軽はずみのことをして、たとい本人だけを引き挙げたところで、ほかの徒党を取り逃がしてしまっては何もならない。うまく工夫して彼等の一類を一網に狩りあげることを考えなければならない。半七は源次に云いつけて、これから毎夜茅場町の近所に網を張って祈祷所へ出入りするものを偵察させることにした。
その日の夕方になって、多吉が再び来た。
「親分、どうも思うような種はあがりませんよ。女の行者はお局《つぼね》様とかお姫《ひい》様とかいっているだけで、ほんとうの名はわかりません。五十ばかりの家来の男は式部といっているそうで、どうも上方《かみがた》生まれに相違ないようです。十五六の小娘は藤江といって、これもなかなか容貌《きりょう》がいいんですけれど、行者のほんとうの妹か身寄りの者か、そこはよく判らないそうです。台所働きはお由とお庄というんですが、これは飯炊きや水汲みに追い使われているだけで、奥の方のことは何も知らないようです」
「ゆうべも云ったことだが、祈祷をたのむ者のほかに誰も出這入りするらしい様子はねえのか」と、半七は念を押して訊いた。
「わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由という女中が外へ出るところを捉《つか》まえて、それとなく探りを入れて見たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです」
「夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る」
「それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえのじゃねえ、行者の方でなにか身体《からだ》がわるいとかいうので、夜の祈祷はみんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさずに来る奴があります」
「紙屋の息子か」
「あ、源次の奴ほじくり出しましたかえ。あいつ油断がならねえ」と、多吉は鼻毛をぬかれたような形で少してれ[#「てれ」に傍点]た。「じゃあ、その方は大抵御承知ですね」
「だが、まあ話してみろ」
多吉の報告も源次とあまり違わなかった。そうして、紙屋の久次郎は色仕掛けでたくさんの祈祷料をまきあげられているに相違ないと云った。
「そうだろう。誰が考えても、落ち着くところは同じことだが、ただ困るのは徒党の奴らだ」と、半七は云った。「夜なかに祈祷をたのむ振りをして、姿をかえて入り込むのじゃねえかと思うが、これも此の頃はちっとも来ねえというのじゃあ仕方がねえ。行者の奴らをつかまえるのは何日《いつ》でも出来る。あいつ等はまあ当分は生簀《いけす》にして置いて、ほかから来る奴らに気をつけろ」
多吉は承知して帰った。
それから半月ほど経ったが、多吉も源次も思わしい成績をあげることが出来なかった。その報告はいつも同じことで、夜になっては紙屋の息子のほかに誰も出這入りするものは無いとのことであった。行者の家でも女中が買物に出るほかには、誰も外出するものはないらしかった。
「半七、どうだ。貴様にしてはちっと足が鈍《のろ》いな」
八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかった。こうなったら仕方がない。まず行者一家の者どもを引き挙げて、それをぶっ叩いて白状させるよりほかあるまいと、かれは内々でその手配りにかかっていると、あしたが池上《いけがみ》のお会式《えしき》という日の朝、多吉があわただしく駈け込んで来た。
「親分、紙屋の息子が二、三日前から姿を隠したようです」
「行者はどうした」と、半七はすぐに訊いた。「まさかに駈け落ちをしたわけでもあるめえ」
「行者はやっぱり家《うち》にいます。それについて、行者の家の式部という奴がなにか紙屋へ掛け合いに行ったらしいんです」
そう云っているところへ源次も来た。
三
今度の事件については、多吉はとかく下っ引の源次に先《せん》を越されていた。源次は多吉の報告以上に、紙屋の息子が姿をかくした事件を詳しく知っていた。
源次の話によると、きのうの午《ひる》過ぎにかの式部が炭団《たどん》伊勢屋へたずねて来て、後家のお豊に厳重な掛け合いを持ち出した。それは当家の伜久次郎どのがお姫様に対して無礼を働いたというのであった。久次郎どのには怪しい獣の悪霊《あくりょう》が付きまとっているので、それを祓《はら》うために毎夜秘密の祈祷を行なっていることは、おふくろ殿もかねて御存じの筈である。本来ならば一七日の祈祷で当然その禍いを祓い得べきであるのに、今度の祈祷に限って不思議にその験《げん》がみえない。更に二七日、三七日、四七日と祈りつづけても、やはりその験のあらわれないのは甚だ不思議に思っていたところが、今になってその仔細が初めて判った。当人の久次郎どのが汚れた心を持っていたからである。久次郎どのは毎夜かかさず通って来るのは、まことの心からの信心ではない。実はお姫様に懸想《けそう》していたのである。現にゆうべの祈祷の休息のあいだに、彼はお姫様をとらえて猥《みだ》らなことを云い出した。実に言語道断の不埒《ふらち》である。
お姫様は勿論それを取り合われる筈はなかった。持っていた幣束《へいそく》で彼の面を一つ打ったままで、無言で奥の間へはいってしまわれたが、それを知った拙者はすぐにその場へ踏み込んで、久次郎の不埒をきびしく叱って、今後決して、参ることは相成らぬと襟髪をつかんで表へ突き出してしまった。久次郎どのは何と云っているか知らないが、事実は全くこの通りであって、お姫様を涜《けが》そうとするのは神を涜そうとするも同じことである。久次郎どの如き言語道断の不埒者はもとより相手にはならない。改めておふくろ殿にお掛け合いをいたすために、こんにち罷《まか》り越した次第であると、式部は形を正しゅうしておごそかに云った。
思いもよらない掛け合いをうけて、お豊は魂が消えるほどにびっくりした。殊に自分は飽くまでもかの尊い行者を信仰しているだけに、わが子の不埒が重々面目なかった。面目ないというよりも、かれは実におそろしかった。彼女は畳に額《ひたい》をうずめて、恐れかしこんでわが子の罪を幾重《いくえ》にも詫びた。かれは当然自分ら親子のうえに落ちかかって来るべき神の御罰をのがれるために、あらためて謝罪の祈祷を嘆願した。祈祷料の二百金は式部のまえに差し出された。式部は容易にそれに手を触れなかったが、結局お姫様の思召しをうけたまわるまで、ともかくもお預かり申して置くということになって、その二百両を受け取って帰った。
式部の帰ったあとで、お豊はすぐ
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング