んだ。多吉はその話を聞かされて頭をかいた。
「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだからわっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」
「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云った。
多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のような活動も出来なくなった。子分にもあまり腕利《うでき》きがなかった。それらの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされたのであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわけには行かなかった。
「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰《たぐ》り出してくれ」
「ようがす。一つ働きましょう」
事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くという一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知れないという懸念《けねん》があるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったからである。
相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件であるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負えそうもないから、誰か他人《ひと》に引き受けさせてくれと一応は断わったが、半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰って来なかった。
「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと荷が重いからな」
こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)過ぎに多吉が帰って来た。
「よく降りますね」
「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半七は待ち兼ねたように訊《き》いた。
「まだ十分
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