たくさんですかえ」
「それでよかろう。なんといっても相手は女だ。そんなに大勢でどやどや押し掛けて行くのも見っともねえ」
多吉はすぐに子分の善八を呼びに行った。源次はその後の模様を探るために、再び炭団伊勢屋の方へ出て行った。半七が身支度をして神田の家を出たのは朝の四ツ(午前十時)過ぎで、会式桜《えしきざくら》もまったく咲き出しそうな、うららかな小春|日和《びより》であった。
半七は途中で買物をして、更になにかの支度をして、日本橋茅場町の祈祷所へたずねてゆくと、以前は誰が住んでいたか知らないが、新らしく作り直したらしく門柱には神教祈祷所という大きな札がかけられて、玄関先に注連《しめ》が張りまわしてあった。六畳ばかりの玄関には十四五人の男や女が押し合うように詰めかけていて、坐り切れない人達は式台の上までこぼれ出していた。半七もおとなしくそこに坐って、自分の順番のくるのを待っていると、そのあとから又五、六人がだんだんはいって来た。そのなかには子分の善八もまじめな顔をしてまじっていた。かれは勿論半七の方を見返りもしないで、ほかの人達となにか小声で話しているらしかった。
一人ひとりの祈祷や占いが可なり長くかかるので、半七は一※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《いっとき》ほども待たされたが、それでも根《こん》よく辛抱していた。先の人が立ち去ると、入れ代りのように後の人がまた詰めかけて来るので、玄関にはいつでも十四五人が待ちあわせている。なるほど、なかなか流行ることだと半七は思っていると、やがて自分の番がまわって来て、かれは正面の祈祷所へ通された。
祈祷所は十五六畳ばかりの座敷で、その構えは先に多吉が報告した通りであった。正面には御簾《みす》を垂れて、鏡や榊や幣束《へいそく》などもみえた。信心者からの奉納物らしい目録包みの巻絹や巻紙や鳥や野菜や菓子折や紅白の餅なども其処《そこ》らにうず高く積まれてあった。若い美しい行者は藁の円座《えんざ》のようなものの上に坐って、手には幣束をささげていた。少し下がったところに、それが彼《か》の式部というのであろう、五十ばかりの如何にも京侍らしい惣髪の男が、白い袴に一本の刀をさして行儀ただしく控えていた。神前をはばかるのか、かれは絶えずうつむいているが、ときどき鋭い上目《うわめ》使いをしてあたりに注意しているらしいのが半七の眼についた
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