たしか文化四年四月の申渡《もうしわた》しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川|宿《じゅく》旅籠屋《はたごや》安右衛門|抱《かかえ》とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴《こと》という女が京都の日野中納言家《ひのちゅうなごんけ》の息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家《くげ》のお姫様が女郎《じょろう》になったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位|内侍局《ないじのつぼね》とかいう肩書《かたがき》で方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は落着《らくぢゃく》しました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論《もくろ》もうとして失敗したもので、つまりこんにちの偽《にせ》華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを清玄《せいげん》桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住《せんじゅ》の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町《こびきちょう》の河原崎座で『桜姫東文章《さくらひめあずまぶんしょう》』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のことで、文久元年の九月とおぼえています」

 八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。
「悪いお天気で困ります」
「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れている庭先をながめながら欝陶《うっとう》しそうに云った。
「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。この頃、茅場町《かやばちょう》に変な奴があるのを知っているか」
「へえ」と、半七は首をかしげた。
「尤《もっと》も、この頃は変な奴がざらに転《ころ》がっているか
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