切にさげていた異国の仏像の御首《みぐし》にも流れ落ちた。
「泣くことはねえ。おれがその仇を取ってやる」と、半七は云った。「その代り、おまえの知っているだけのことは何でも話してくれねえじゃあいけねえ。といって、いつまでもここで立ち話も出来めえ。あしたの朝、わたしの家まで来てくれ。神田の三河町で、半七と聞けばすぐ判る」

     三

 あくる朝、英俊は約束通りに半七をたずねて来た。そうして、師匠の英善の身のうえに就いて自分の知っているだけのことを詳《くわ》しく話して帰った。帰る時に、半七はかれに何事かを教えてやった。それからすぐに身支度をして、半七も寺社奉行の役宅へ出て行った。
 寺社方の許可を得て、かれは何かの活動に取りかかるらしく、役宅から帰ると更に子分の松吉と亀八を呼びよせた。
「ひょっとすると草鞋《わらじ》を穿《は》くかも知れねえ。そのつもりで支度をして置け」
 午《ひる》すぎになって英俊がふたたび来た。
「親分さん。安蔵寺の三人はきのうの朝、一挺の駕籠を吊らせて帰ったそうです」
「駕籠は一挺か」と、半七は少し考えた。「そこで、どうだろう。その頭《かしら》の坊主は……」
「昌典という人はまだ残っているらしいのです」
「よし。じゃあ、すぐに出かけよう。一日の違いなら何とかなるだろう。もう一日早ければ訳はなかったのだが、どうも仕方がねえ」
 半七は二人の子分をつれて、俄かに甲州街道の方角へ旅立ちすることになった。かれは見識り人として英俊をも連れて行かなければならなかったが、まだ十三の少年が足の早い彼等と共にあるくことは出来そうもないのと、彼等もゆく手を急ぐのとで、四挺の駕籠を雇って神田を出たのは其の日の八ツ(午後二時)を過ぎた頃であった。
 先をいそぐ四人は御用の旅という触れ込みで、むやみに駕籠を急がせた。新宿で駕籠をかえて其の晩のうちに府中の宿《しゅく》まで乗りつけた。あくる朝七ツ(午前四時)ごろに宿屋を立って、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上の原、鶴川、野田尻、犬目、下鳥沢、鳥沢の宿々あわせて十六里あまりを駕籠で急がせた。自分たちはともかくも、旅馴れない上に年のゆかない英俊がもし途中で弱るようなことがあってはならないと、立場《たてば》々々へ着くたびに半七はかれに気つけ薬を飲ませて介抱したが、英俊はちっとも弱らなかった。彼は一刻も早くお師匠さまを救ってくれと、そればかりを繰り返していた。
「お小僧さん、なかなか強いな」と、子分たちも励ますように云った。
 鳥沢の宿へはいったのは夜の五ツ頃で、夕方から細かい雨がしとしとと降り出していた。今夜のうちに次の宿の猿橋まで乗り込みたいと思ったが、あいにくに雨が降るのと、駕籠屋も疲れ切っているのとで、半七はここで今日の旅を終ることにして、駕籠のなかから声をかけた。
「おい、若い衆さん。この宿《しゅく》でどこかいい家《うち》へつけてくれ」
「はい、はい」
 雨はだんだん強くなって来たのと、泊まりの時刻をもう過ぎたのとで、暗い宿《しゅく》の旅籠屋《はたごや》では大戸をおろしているのもあった。四挺の駕籠が宿の中まで来かかると、左側の小さい旅籠屋のまえに一挺の駕籠のおろされているのが眼についたので、半七は自分の駕籠の垂簾《たれ》をあげて透かして視ると、その駕籠は今この旅籠屋に乗りつけたらしく、駕籠のそばには二人の男が立っていた。ひとりは内にはいって店の番頭となにか掛け合っているらしかった。その三人がいずれも旅僧であることを覚った時、半七はすぐに自分の駕籠を停めさせた。その合図を聞いて子分の松吉と亀八もつづいて駕籠を出た。英俊も出た。四人は雨のなかを滑りながら駈け出して、ばらばらとその旅籠屋の店さきへはいった。
 駕籠の脇に立っている旅僧の一人は、英俊の顔をみて俄かにうろたえたらしく、あわててほかの僧を見かえる間に、松吉と亀八はもうそのうしろを取りまくように迫っていた。
「失礼でございますが、このお駕籠にはどなたがお乗りです」と、半七は丁寧に訊《き》いた。
 ふたりの僧は黙っていた。
「では、御免を蒙《こうむ》って、ちょっとのぞかせて頂きます」
 再び丁寧にことわって、半七は桐油紙《とうゆ》を着せてある駕籠の垂簾《たれ》を少しまくりあげると、中には白い着物を着ている僧が乗っていた。英俊は泣き声をあげてその前にひざまずいた。
「お師匠さま」
 僧は眼を動かすばかりで、口を利かなかった。彼はいつまでも無言であった。英俊は彼の袖にすがって再び呼んだ。
「お師匠さま」
 無言の僧は時光寺の住職英善であった。かれが無言であるのは、声を出すことの出来ないような一種の薬を飲まされていたのであった。

「もうここまで来れば、あとは詳しく云うまでもありますまい」と、半七老人は云った。「ところで、なぜこんな事件が起ったかというと、この宗旨の本山の方に何か面倒な事件があって、こんにちの詞《ことば》でいえば、本山擁護派と本山反対派の二派にわかれて暗闘を始めていたというわけなんです。それがだんだんに激しくなって、本山の方からも幾人かの坊主が出府《しゅっぷ》して、江戸の末寺を説き伏せようとする。末寺の方では思い思いに党を組んで騒ぎ立てる。その中でも時光寺の住職は有力な反対派の一人、まかり間違えば寺社奉行へまで持ち出して裁決を仰ごうという意気込みなので、本山派の方で持て余して、なんとかしてこの住職をなき者にしよう……。といって、出家同士のことですから、まさか殺すわけにも行かないので、この住職を本山へ連れて行って、当分押し込めて置こうということになったのです。そこで、住職がいつの晩には根岸の檀家へ出かけて行くというのを知って、帰る途中を待ち受けて、腕ずくで取っつかまえて下谷坂本の安蔵寺という本山派の寺へ連れ込んでしまったのです。そうして、口を利くことの出来ないように、毒薬を飲ませたのだそうです」
「そうなると、例の狐はその身代《みがわ》りなんですね」
「そうです、そうです」と、老人はうなずいた。「一ヵ寺の住職がただ消えてなくなったというのでは、詮議がむずかしかろうという懸念《けねん》から、住職の袈裟《けさ》や法衣《ころも》をはぎ取って、それを狐に着せて……。いや、今からかんがえると子供だましのようですが、それでもよっぽど知恵を絞ったのでしょう」
「ところで、大切の仏像というのはどうしたんです。やはりその住職が持っていたんですか」
「いつの代でも、なにかの問題で騒ぎ立てれば相当の運動費がいります。時光寺は本来小さい寺である上に、住職が本山反対運動に奔走《ほんそう》しているので、その内証は余程苦しい。まして寺社奉行へでも持ち出すとすれば、また相当の費用もかかる。それらの運動費を調達するために、住職は大切の秘仏をそっと持ち出して、それを質《かた》に伊賀屋から幾らか借り出そうとして、仏事の晩にそれを厨子《ずし》に納めて持ち込んだのですが、ほかに大勢の人がいたので云い出す機《おり》がなくって一旦は帰ったのです。しかしどうしても金の入用に迫っているので、途中から小坊主を帰して、自分ひとりで伊賀屋へまた引っ返す途中、運悪く本山派の罠《わな》にかかって、持っていた厨子は無論に取りあげられてしまったのですが、その時に住職が手早く仏像だけをぬき出して自分の袂《たもと》へ隠したのを、相手の者は気がつかなかったと見えます」
「その落着《らくぢゃく》はどうなりました」
「事件もこうなると大問題です」と、老人は眉をしかめて云った。「無論に寺社方の裁判になりました。本山から出府している坊主は十一人ありましたが、ほかの寺に宿を取っていた七人はこの事件に関係がないというので免《ゆる》されました。安蔵寺に泊まっていた四人、その三人は住職の駕籠について行き、一人は江戸に残っていましたが、いずれも召し捕って入牢《じゅろう》申し付けられ、その中で二人は牢死、二人は遠島になりました。時光寺の納所《なっしょ》の善了も本山派に内通していたという疑いをうけて、寺を逐《お》い出されたそうです。この事件も手をひろげたら随分大きくなるでしょうが、本山の方へは一切《いっさい》手を着けずに、江戸だけで片付けてしまいましたから、前にいった四人のほかには罪人も出ませんでした。時光寺の住職はその後に療治をして、すこしは声が出るようになったので、やはり元の寺に勤めていましたが、上野の戦争のときに彰義隊の落武者《おちむしゃ》をかくまったというので、寺にも居にくくなって、京都の方へ行ったそうです。英俊は利口な小僧で、その時に師匠と一緒に行って、今では京都の大きい寺の住職になっていると聞きました。なにしろこの探索では小坊主が大立物《おおだてもの》で、その口から本山派と反対派の捫著《もんちゃく》を聴いたので、わたくしもそれから初めて探索の筋道をたてたようなわけですからね。今でも時々あるようですが、むかしも寺々の捫著はたびたびで、寺社奉行を手古摺《てこず》らせたものですよ」
 併しそこにまだ一つの疑問が残されていた。それは時光寺の住職がかの事件の起る以前からと俄かに犬を嫌うようになったということである。私はそれを聞きただすと、老人は笑って答えた。
「それはなんにも係り合いのないことなんです。住職が犬を嫌うようになったというので、おそらく狐が化けていたのだろうなどという疑いも起って来たんですが、だんだん調べてみると斯《こ》ういうわけでした。住職は出家のことで、ふだんから畜類を可愛がっていたんですが、本山反対の運動を起してから、こんにちの詞《ことば》でいえば神経が興奮したとでもいうのでしょう。なんだか苛々《いらいら》したような気分になって、今まで可愛がっていた犬などにも眼をくれず、犬の方から尻尾《しっぽ》をふって近寄っても、怖い顔をして追っ払うという風になった。そこへ例の一件が出来《しゅったい》したもんですから、それが又何だか仔細ありげに云い触らされるようになったのです。一体この事件にかぎらず、わたくし共の方ではよくこんな事でいろいろ思い違いや見込み違いをすることがあります。無事の時ならばなんでもないことが、大仰《おおぎょう》に仔細ありげに考えられますから、よっぽど注意しないといけません。探索という上から見れば、髪の毛一本でも決して見逃がしてはなりませんが、所詮《しょせん》は大体のうえに眼をつけて、それから細かいところへ踏《ふ》み込んで行かないと、前にも云ったような、飛んだ見込み違いで横道へそれてしまうことがありますよ」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年9月22日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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