聞きだ。寺社とお係りは違うけれど、こういうところへ来あわせては、調べるだけのことは調べて置かなければならねえ。その晩、和尚さんがその仏さまを持って出たのかえ」
 相手の身分を聴くと共に、小坊主の態度は俄かに変った。かれは今までとは打って変って、半七の問いに対して、何でもはきはきと答えた。
 かれは時光寺の英俊であった。師匠の英善がゆくえ不明になった晩、かれは師匠の供をして根岸の伊賀屋へ行った。読経《どきょう》がすんで、一緒に連れ立って帰る途中、師匠はほかへ路寄りすると云って別れたまま再び戻って来ない。そうして、そのあくる朝、師匠の袈裟法衣をつけた狐の死骸がこの溝の中に発見されたのである。それがどう考えても判らないので、かれは絶えずそれを考えつめていると、今日この溝のふちを通るときに、測らずも泥のなかに何か薄黒く光るようなものを見つけたのであった。仏像はおそらく師匠の袂《たもと》かふところに入れてあって、ここへ転げ込むときに水のなかへ滑り落ちたのを誰も見つけ出さなかったのであろう。毎日|陰《くも》ってはいるが、この頃すこしも雨がないので、溝の水もだんだんに乾いて、泥に埋められていた仏像が自然にその形をあらわしたのであろう。自分にもよく判らないが、これは寺の秘仏として大切に保管されているものであるらしい。なんでも遠い昔に異朝から渡来したもので、その胎内には更に小さい黄金仏が孕《はら》ませてあると云いつたえられている。自分は九つの年から寺に入って、足かけ五年のあいだに三度しか拝んだことはないが、これはどうもその仏像であるらしいと彼は説明した。
 それほど大切の秘仏を住職がなぜむやみに持ち出したか、それが半七にも判らなかった。英俊にも判らなかった。
「しかしこれをみると、狐がお住持に化けていたなどというのは嘘です」と、英俊は云った。「わたしも最初から疑わしいと思っていましたが、もし狐ならばこういうものを持ち出す筈がありません。狐や狸は尊い仏を恐れる筈です」
 それは如何にも仏弟子らしい解釈であった。半七は又それと違った解釈で、時光寺の住職の正体が狐でないことを確かめた。
「お住持は……お師匠さまは……」と、英俊は俄かに泣き出した。
「おい。どうした、どうした」と、半七はかれの肩に手をかけた。
 英俊はその肩をゆすぶって泣きつづけた。かれの涙は法衣の袖にほろほろとこぼれて、大切にさげていた異国の仏像の御首《みぐし》にも流れ落ちた。
「泣くことはねえ。おれがその仇を取ってやる」と、半七は云った。「その代り、おまえの知っているだけのことは何でも話してくれねえじゃあいけねえ。といって、いつまでもここで立ち話も出来めえ。あしたの朝、わたしの家まで来てくれ。神田の三河町で、半七と聞けばすぐ判る」

     三

 あくる朝、英俊は約束通りに半七をたずねて来た。そうして、師匠の英善の身のうえに就いて自分の知っているだけのことを詳《くわ》しく話して帰った。帰る時に、半七はかれに何事かを教えてやった。それからすぐに身支度をして、半七も寺社奉行の役宅へ出て行った。
 寺社方の許可を得て、かれは何かの活動に取りかかるらしく、役宅から帰ると更に子分の松吉と亀八を呼びよせた。
「ひょっとすると草鞋《わらじ》を穿《は》くかも知れねえ。そのつもりで支度をして置け」
 午《ひる》すぎになって英俊がふたたび来た。
「親分さん。安蔵寺の三人はきのうの朝、一挺の駕籠を吊らせて帰ったそうです」
「駕籠は一挺か」と、半七は少し考えた。「そこで、どうだろう。その頭《かしら》の坊主は……」
「昌典という人はまだ残っているらしいのです」
「よし。じゃあ、すぐに出かけよう。一日の違いなら何とかなるだろう。もう一日早ければ訳はなかったのだが、どうも仕方がねえ」
 半七は二人の子分をつれて、俄かに甲州街道の方角へ旅立ちすることになった。かれは見識り人として英俊をも連れて行かなければならなかったが、まだ十三の少年が足の早い彼等と共にあるくことは出来そうもないのと、彼等もゆく手を急ぐのとで、四挺の駕籠を雇って神田を出たのは其の日の八ツ(午後二時)を過ぎた頃であった。
 先をいそぐ四人は御用の旅という触れ込みで、むやみに駕籠を急がせた。新宿で駕籠をかえて其の晩のうちに府中の宿《しゅく》まで乗りつけた。あくる朝七ツ(午前四時)ごろに宿屋を立って、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上の原、鶴川、野田尻、犬目、下鳥沢、鳥沢の宿々あわせて十六里あまりを駕籠で急がせた。自分たちはともかくも、旅馴れない上に年のゆかない英俊がもし途中で弱るようなことがあってはならないと、立場《たてば》々々へ着くたびに半七はかれに気つけ薬を飲ませて介抱したが、英俊はちっとも弱らなかった。彼は一刻も早くお師
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