ろで、なぜこんな事件が起ったかというと、この宗旨の本山の方に何か面倒な事件があって、こんにちの詞《ことば》でいえば、本山擁護派と本山反対派の二派にわかれて暗闘を始めていたというわけなんです。それがだんだんに激しくなって、本山の方からも幾人かの坊主が出府《しゅっぷ》して、江戸の末寺を説き伏せようとする。末寺の方では思い思いに党を組んで騒ぎ立てる。その中でも時光寺の住職は有力な反対派の一人、まかり間違えば寺社奉行へまで持ち出して裁決を仰ごうという意気込みなので、本山派の方で持て余して、なんとかしてこの住職をなき者にしよう……。といって、出家同士のことですから、まさか殺すわけにも行かないので、この住職を本山へ連れて行って、当分押し込めて置こうということになったのです。そこで、住職がいつの晩には根岸の檀家へ出かけて行くというのを知って、帰る途中を待ち受けて、腕ずくで取っつかまえて下谷坂本の安蔵寺という本山派の寺へ連れ込んでしまったのです。そうして、口を利くことの出来ないように、毒薬を飲ませたのだそうです」
「そうなると、例の狐はその身代《みがわ》りなんですね」
「そうです、そうです」と、老人はうなずいた。「一ヵ寺の住職がただ消えてなくなったというのでは、詮議がむずかしかろうという懸念《けねん》から、住職の袈裟《けさ》や法衣《ころも》をはぎ取って、それを狐に着せて……。いや、今からかんがえると子供だましのようですが、それでもよっぽど知恵を絞ったのでしょう」
「ところで、大切の仏像というのはどうしたんです。やはりその住職が持っていたんですか」
「いつの代でも、なにかの問題で騒ぎ立てれば相当の運動費がいります。時光寺は本来小さい寺である上に、住職が本山反対運動に奔走《ほんそう》しているので、その内証は余程苦しい。まして寺社奉行へでも持ち出すとすれば、また相当の費用もかかる。それらの運動費を調達するために、住職は大切の秘仏をそっと持ち出して、それを質《かた》に伊賀屋から幾らか借り出そうとして、仏事の晩にそれを厨子《ずし》に納めて持ち込んだのですが、ほかに大勢の人がいたので云い出す機《おり》がなくって一旦は帰ったのです。しかしどうしても金の入用に迫っているので、途中から小坊主を帰して、自分ひとりで伊賀屋へまた引っ返す途中、運悪く本山派の罠《わな》にかかって、持っていた厨子は無論に取り
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