手慰みなどもするという噂であったが、主人の茂右衛門は別に咎めもしないで捨てて置いた。
 事件の起った晩にあつまったのは、佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門、甚太郎、権十の六人で、今夜は後《のち》の月見というので、何処からか酒や下物《さかな》を持ち込んで来て、宵から飲んで騒いでいた。
「猪番なんぞはどうでもいい。猪の奴め、この騒ぎにおっ魂消《たまげ》て滅多に出て来るもんじゃあねえ」
 こんなことを云って、番人の七助をはじめ、六人の者もさんざんにしゃべって、騒いで、いい心持に酔い倒れてしまった。畑中の一軒家ではあるが、かれらの笑い騒ぐ声が亥の刻頃まで遠くきこえたのを村の者は知っていた。しかしその夜が明けても猪番小屋の戸は明かなかった。いつも早起きの七助が今朝は起きて来ないのを怪しんで、庄屋の家の者が見まわりに来ると、表の戸は閉め切ってあって、戸の隙き間から眼にしみるような煙りが流れ出していた。いよいよおかしく思って戸をあけると、狭い小屋の中から薄黒い煙りが一度にどっと噴き出して来て、一時は眼口《めくち》もあけられない程であった。もともと狭い小屋のなかに、大の男が七人も重なり合って倒れているのであるから、殆ど足の踏みどころもない。それを一々呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。ほかの二人も半死半生であった。
 小屋|主《ぬし》の茂右衛門は勿論、村じゅうの者が駈けつけていろいろ介抱したが、どうにかこうにか正気づいたのは、やはり甚太郎と権十の二人だけで、ほかの五人はどうしても生きなかった。生き返った二人の話によると、かれらは正体もなく酔い倒れてしまったので、何事も知らない。夢うつつのように何だかむやみに息苦しくなったと思いながらも、身動きすることも出来なかったというのである。始めは何か食い物の毒あたりではないかという説もあったが、だんだん調べてみると、炉のなかには松葉を焚いたらしい灰がうず高く積っている。焼け残った青い松葉もそこらに散っている。かれらは夜寒《よさむ》を凌ぐために焚き火をして、その煙りに窒息したのではないかともおもわれたが、ふたりは松葉などを燃やした覚えはないと云い張っていた。夜がふけて雨戸をしめたのは知っているが、炉のなかに木の葉など炙《く》べたことはない、第一この
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