を覗いていると、ひとりの若い男が何処からか不意にあらわれた。かれは跳りあがって長次郎の眼の前に突っ立った。
「さあ、一緒に来い。小女郎めを退治に行くから」
 それが平太郎であることを長次郎はすぐに覚った。彼はつづいて叫んだ。
「小女郎ばかりでねえ。佐兵衛も六右衛門もみな殺してやる。あいつらは狐の廻し者だ。あと方もねえことを触れて歩きゃあがって、おれの女房を狐の餌食《えじき》にしてしまやがった」
 長次郎は笑いながら彼の蒼ざめた顔をじっと眺めていた。

     四

 その晩、新石下の村でまた一つの事件が起った。かの善吉の妹のお徳が兄の寝酒を買いに出た帰り途に、田圃路《たんぼみち》で何者にか傷つけられた。善吉と佐兵衛とお徳とは三人の兄妹《きょうだい》で、かれはまだ十五の小娘であった。近ごろ中《なか》の兄を失って心さびしい彼女は、宵闇の田圃路を急ぎ足にたどって来ると、暗いなかから何者かが獣のように飛び出して来て、だしぬけに彼女の顔を掻きむしったので、お徳はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と悲鳴をあげて、手に持っていた徳利を捨てて逃げ出した。ようように家へころげ込んで母や兄に見て貰うと、かれは頬や頸筋をめちゃくちゃに引っ掻かれて、その爪あとには、生血《なまち》がにじみ出していた。
「狐の仕業《しわざ》だ。佐兵衛を殺したばかりでは気が済まねえで、今度は妹に祟ったのに相違ねえ」
 こんな噂が又すぐに村じゅうにひろがった。これも寝酒を買いに出た高巌寺の銀蔵は、途中でその噂を聞いて急に薄気味悪くなって、どうしようかと路ばたに突っ立って思案していると、不意にその肩を叩く者があった。ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として透かしてみると、頬かむりをした長次郎が暗い蔭に忍んでいた。
「おお、親分。お聞きでしたか、小女郎がまた何か悪さをしたそうで……」
「そんな話だ」と、長次郎はうなずいた。「ときにお前に無心がある。今夜はお前のところへ一と晩泊めてくれねえか」
 耳に口を寄せてささやくと、銀蔵も幾たびかうなずいた。
「わかりました、判りました。さあ、すぐにお出でなせえ」
「お前、どっかへ行くんじゃあねえか」
「寝酒を一合買いに行こうと思ったんだが、まあ止《よ》しだ」
「酒はおれが買う。遠慮なく行って来ねえ」
「だが、まあ止そうよ」
「じいさんも狐が怖いか」と、長次郎は笑った。
「あんまり心持がよ
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