い鶏をかかえた男が立っていた。ほかにも七、八人の男がその中間を取りまいて、何か大きい声で罵っているらしかった。中間はくくりつけられるまでに散散の打擲《ちょうちゃく》をうけたらしく、頬にはかすり疵の血がにじんで、髪も着物もみだれたままで、意気地もなく俯向いていた。
 それを遠巻きに見物している人達をかきわけて、半七と庄太は前へ出た。庄太は土地の者だけに、そのなかには顔なじみの者もあるらしく、一人の男に声をかけた。
「もし、どうしたんですえ、その中間は」
「鶏をぬすんで絞めたんですよ。しかも真っ昼間、ずうずうしい奴です」
 観音の境内には鶏を奉納するものがある。それは誰も知っていることであるが、その鶏がこの頃たびたび紛失するので、土地の者も内々注意していると、今朝《けさ》この中間が紙につつんだ一と粒の米を餌にして、木のかげで遊んでいる鶏を釣り寄せようとしているらしいので、鶏の豆を売っている婆さんが見つけて、寺内に住んでいる町屋《まちや》の人達に密告したので、二、三人が駈けて来た。つづいて五、六人が駈けつけてみると、かの中間は大きい銀杏のかげに身を穏すようにして、二、三羽の鶏に米をやっていた。
 その挙動が怪しいので、気の早い者はすぐに彼を引っ捕えて詮議すると、中間は奉納の鶏に餌をあたえているのだと云った。鳩に豆をやると同じわけで、勿論それだけならば仔細はない。却って奇特《きどく》というべきでもあったが、その言い訳は立たなかった。彼はそのふところに一羽の白い鶏を隠していることを発見された。かれは鶏を釣り寄せて、手早くその頸を絞めていることが判ったので、死んだ鶏は無論に取り返された。そうして、逃ぐる間もなしに引き摺り倒されて、袋叩きの仕置に遭ったのである。武家に奉公している者でも、場所が観音の境内で、しかも奉納の鶏を殺したのであるから、このくらいの仕置きはこの時代としては当然であった。まして多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》であるから、中間はとても反抗する力はなかった。かれは彼等のなすままにおめおめ服従して、白昼諸人のまえに生き恥を晒《さら》すほかはなかった。苦しいのか、面目ないのか、立木につながれた彼は眼を瞑《と》じたまま俯向いていた。その話を聴いて庄太はあざわらった。
「馬鹿な奴だな、若けえ者のくせに飛んだ業晒《ごうさら》しだ」
「これからどうするんですね」と、半七は訊いた。
 鶏をぬすんだ罪人の仕置は、まだこれだけでは済まない。彼は斯《こ》うしてここに半日晒しものにした上で、棒しばりにして広小路は勿論、馬道から花川戸のあたりまで、引き廻してあるくのであると彼等は云った。半七は顔をしかめた。
「そりゃあちっとむご過ぎるようだね。いくら寺内でしたことでも、土地の人達がそんなに勝手の仕置をするのはよくないだろう。なぜすぐ自身番へでも連れて行かないんですえ」
 かれらは半七の顔を識らなかったが、それでも庄太の連れであるので、薄々はその身分を覚ったらしく、余計な世話を焼くなというような反抗の顔色も見せなかった。鶏をかかえている男は丁寧に答えた。
「それがおまえさん。今も云う通り、けさ初めてじゃあない。これまでにも度々盗んでいるんですからね。いや、まだここばかりじゃあない、この頃この近所でも、たびたび飼い鶏を取られるんですよ」
 寺内の鶏をぬすみ、人家の鶏を盗み、その悪事重々の奴であるから、そのくらいの仕置は当然であるというような彼の口ぶりであったが、それならば猶更のこと、土地の者がわたくしの刑罰を加えるのはよくないと半七は思った。それを聴くと、今まで俯向いていた中間は俄かに顔をあげた。
「やい、やい、こいつら。さっきからおとなしくしていれば、図に乗って何を云やあがるんだ」と、かれは呶鳴った。「おれが取ったのはその鶏一羽だ。これまでに一度だって取った覚えはねえ。まして手前たちの飼い鶏なんぞは誰が知るもんか。きょうはおれ一人だから、こうして手籠めに遭っているんだ。部屋へ帰ったら、みんなを狩りあつめて来て片っ端から手前たちの頸を絞めて、骨は叩きにしてやるからそう思え」
「なにを云やあがるんだ。この狐野郎め」
 二、三人が又なぐりに行こうとするのを、半七は制した。
「まあ、待ちなせえ。疵でも付けると面倒だ。そこでお中間、おめえはまったくこの一羽を取っただけかえ」
「あたりめえよ。部屋へ持って帰って、みんなで鍋焼きにしようと思っただけよ」と、中間は大きい眼をひからせて云った。「一羽でよせばよかったのを、もう一羽と長追いをしたのが運の尽きだ。おれは軍鶏屋《しゃもや》の廻し者じゃあねえ、そこら中の鶏を取って歩くものか。ばかばかしい」
 かれは吐き出すように罵った。
「まあ、いい」と、半七はまた制した。「たとい一羽でも取った以上はおめえが悪い。まあ我慢するがいいぜ。わたしもここへ来たのが係り合いだ。まあ、なんとかみんなと話し合いをつけてみよう」
 そのなかで重立っているらしい三、四人を、すこし距《はな》れた木のかげへ連れ込んで、半七は小声で注意をあたえた。いかに観音の寺内でも土地の者がみだりに刑罰を加えるのは穏当でない。万一あの中間が口惜《くや》しまぎれに舌でも食い切ったらどうするか。あるいは自分の部屋へ引っ返して大勢で仕返しに来たらどうするか。そんな事件が出来《しゅったい》した場合には、わたくしに刑罰を加えた人々は当然何等かの御咎めをうけなければなるまい。あれだけの仕置をしたらもう十分であるから、このままに免《ゆる》してやるのが無事であろうと、彼は云い聞かせた。相手が相手であるので、かれらももう逆《さか》らわなかった。中間は縄を解いて放された。
「こいつら、おぼえていろ」
 睨みまわして立ち去ろうとする中間を、半七は呼び止めた。
「おめえ、それがおとなしくねえ。悪いことをして威張る奴があるもんか。まあ、黙って引き取りなせえ」
 云いながら彼は中間の手に二朱の金をそっと握らせた。
「どうも済まねえ。いろいろ御厄介になりました」と、中間は顔の色を直して立ち去った。
「はは、これでいい。ついでと云っちゃあ済まねえが、ここまで来たからお詣りをして行こうよ」
 大勢の挨拶をうしろに聞きながら、半七は観音堂の段をのぼって行った。参詣も済んで、横手の随身門を出ると、庄太があとから追って来た。
「親分。つまらねえ散財をしましたね。みんなもよろしく云ってくれと云っていましたよ。だが、だんだん聞いてみると、まったく今朝ばかりじゃあねえ、この頃はたびたび鶏を取っていく奴があるそうですよ。それだもんだからみんなも余計に憎しみをかけて、あんな仕置をするようにもなったんだから、親分にもよくその訳を云ってくれと頼んでいました」
「むむ」と、半七は笑いながらうなずいた。「あの中間はとんだ人身御供《ひとみごくう》だったな」
「そうでしょうか」
「一朱や二朱は惜しくねえ。これで大抵あたりも付いたようだ」
「あたりが付きましたかえ」
「だが、もう少し考えてみよう」と、半七はまた笑った。「まだほんとうにお膳立てが出来ねえからな」
 庄太に案内させて、半七はまず馬道の鼻緒屋をたずねた。娘のお捨に逢って、このあいだの晩彼女が嚇されたという若い女の年頃や風俗についていろいろ詮議したが、お捨はまだ十五六の小娘で殊に怖《こわ》い方が先に立って一生懸命に逃げ出してしまったので、その女が凄い顔をして牡丹のような真っ紅な口をあいたという以外に、その正体を確かに見とどけている余裕がなかったので、その詮議は結局不得要領に終った。しかし彼女が見たところでは、その女はどうも跣足《はだし》であったらしいというのであった。
 ここの詮議はそれだけにして、半七は更に同町内の酒屋をたずねた。

     三

 酒屋で帳場に居あわせた亭主が庄太の顔をみて丁寧に挨拶した。ふたりは店に腰をかけて、下女のお伝が何者にか啖い殺された当夜のありさまを聞きただしたが、これも薄暗がりの時刻であり、且は不意の出来事であるので、亭主は二人が満足するような詳しい説明をあたえることは出来なかった。しかしお伝は二年越しここに奉公している正直者で、今までに浮いた噂などは勿論なかったと亭主は証明した。
 二人はここを出て、山の宿の小間物屋をたずねたが、これは誰も知らないあいだの出来事であるので、そこの女房がどうして殺されたのか、まるで判らなかった。
「親分。しようがありませんねえ」と、庄太はそこの店を出て、汗をふきながら舌打ちした。
「まあ、あせるな。これでも眼鼻はだんだんに付いて行く。これからおめえの隣りへ行こう」
 庄太は自分の住んでいる露路のなかへ半七を案内すると、となりのお作の家には近所の人達があつまっていた。庄太の女房も手伝いに行っていたが、半七の来たのを知ってあわただしく帰って来た。お作のとむらいは今日の夕方に出るはずだと彼女は話した。
 半七は更に庄太に案内させて、露路の奥を見まわった。庄太の云った通り、ぬけ裏のゆき止りを竹垣でふさいであったが、その古い竹はもうばらばらに頽《くず》れかかっていた。そばには共同の大きい掃溜《はきだ》めがあって、一種の臭いが半七の鼻をついた。こういう露路の奥の習いで、そこらの土はじくじく[#「じくじく」に傍点]と湿《しめ》っているのを、半七は嗅ぐように覗いてあるいた。家へ帰ると庄太はささやいた。
「お作のおふくろを呼んで来ましょうか」
「そうさなあ、こっちへ来て貰った方が静かでいいな」と、半七は云った。
 お作の母はすぐに隣りから呼ばれて来た。ひとり娘をうしなったお伊勢は眼を泣き腫《はら》して半七のまえに出た。かれは五十に近い大柄の女であった。
「どうも飛んだことだったね」と、半七は一と通りの悔みを云った上で、あらためて訊いた。「そこで早速だが、ゆうべのことに就いてなんにも心あたりはねえのかえ」
 お伊勢は鼻をすすりながら昨夜の顛末《てんまつ》を訴えたが、それは庄太の報告とおなじもので、別に新らしい事実を探り出すことは出来なかった。半七はまた訊いた。
「その女の人相というのはちっとも判らなかったかえ」
 その女が白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着ていたのは、お伊勢もたしかに認めたが、そのほかのことは夜目遠目でやはりはっきりとは判らなかった。しかしそれが若い女であるらしいことは、彼女もお捨の申し立てと一致していた。
「その女は跣足《はだし》だったかえ」
「はい、どうもそうらしゅうございました」と、お伊勢は思い出したように云った。
 年のわかい、白地の浴衣を着た跣足の女、それだけのことはもう疑う余地がなかった。半七はその上にもう少し何かの手がかりを得たかったが、相手はとかくに涙が先に立つので、しどろもどろのその口から何も聞き出せそうもないと諦めて、半七はそのままお伊勢を帰してやることにした。
「どうぞ娘のかたきをお取りください」
 お伊勢はくり返して頼んで帰った。やがてもう午《ひる》に近くなったので、半七は庄太を誘い出して近所の小料理屋へ飯を食いに出た。
「どうですえ、親分。お調べはもうこんなものですか」と、庄太は酌をしながら小声で訊いた。
「どうも仕方がねえ。差し当りはこのくらいかな」と、半七も小声で云った。「そこで、おれの考えじゃあ、この一件は二つの筋が一つにこぐらかっているらしい。まず人を啖い殺すやつは獣物《けだもの》だな」
「そうでしょうか」
「人を啖うばかりじゃあねえ。そこらで鶏がたびたびなくなるという。勿論、鬼娘が見あたり次第に相手を取っ捉まえて、人間でも鳥でも構わずに、その生血《いきち》を吸うのだと云えばいうものの、どうもそうとは思われねえ。ちょいと、これをみてくれ」
 半七は袂をさぐって、鼻紙にひねったものを出すと、庄太は大事そうにあけて見た。
「こんなものをどこで見付けたんですえ」
「それは露路の奥の垣根に引っかかっていたのよ。勿論、あすこらのことだから何がくぐるめえものでもねえが、なにしろそれは獣物《けだもの》の毛に相違ねえ」
「そうですね」と、庄太は丁寧に紙をひろげて、その
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