半七捕物帳
鬼娘
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)馬道《うまみち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)又|十日《とおか》と経たないうちに
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)もしもし[#「もしもし」に傍点]
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一
「いつかは弁天娘のお話をしましたから、きょうは鬼むすめのお話をしましょうか」と、半七老人は云った。
馬道《うまみち》の庄太という子分が神田三河町の半七の家へ駈け込んで来たのは、文久元年七月二十日の朝であった。
「お早うございます」
「やあ、お早う」と、裏庭の縁側で朝顔の鉢をながめていた半七は見かえった。「たいへん早いな、めずらしいぜ」
「なに、この頃はいつも早いのさ」
「そうでもあるめえ。朝顔の盛りは御存じねえ方だろう。だが、朝顔ももういけねえ、この通り蔓《つる》が伸びてしまった」
「そうですねえ」と、庄太は首をのばして覗《のぞ》いた。「時に親分。すこし耳を貸して貰いてえことがあるんですよ。わっしの近所にどうも変なことが流行り出してね」
「なにが流行る、麻疹《はしか》じゃあるめえ」
「そんなことじゃあねえので……」と、庄太はまじめにささやいた。「実はわっしの隣りの家のお作という娘がゆうべ死んでね」
「どんな娘で、いくつになる」
「子供のような顔をしていたが、もう十九か二十歳《はたち》でしょうよ。まあ、ちょいと渋皮の剥《む》けたほうでね」
それが普通の死でないことは半七にもすぐに覚られた。かれはすぐに起ちあがって、茶の間へ庄太を連れ込んだ。
「そこで、その娘がどうした。殺されたか」
「殺されたには相違ねえんだが……。そいつが啖《く》い殺されたんですよ」
「化け猫にか」と、半七は笑った。「いや、冗談じゃあねえ。ほんとうに啖い殺されたのか」
「ほんとうですよ。なにしろわっしの隣りですからね。こればかりは間違い無しです」
庄太の報告はこうであった。
今から半月ほどまえの宵に、馬道《うまみち》の鼻緒屋の娘で、ことし十六になるお捨《すて》というのが近所まで買物に出ると、白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着た若い女が、往来で彼女とすれ違いながら、もしもし[#「もしもし」に傍点]と声をかけた。なに心なく振りかえると、その女はうす暗いなかで薄気味のわるい顔をして
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