は師の坊にも迷惑をかけ、寺の名前にも疵が付く。破戒の若僧もさすがにそれらを懸念して、ふたりは死に場所を変えたのであろう。こう煎じつめてゆくと、二人が本望通りに死んでしまった以上、ほかに詮議の蔓《つる》は残らない筈である。源次が落胆するのも無理はなかった。
「そこで、その坊主には別に書置もなかったらしいか」と、半七は訊いた。
「そんな話は別に聞きませんでした。あとが面倒だと思って、なんにも書いて置かなかったんでしょう」
「そうかも知れねえ。それから妹の方には別に変った話はねえのか」
「妹は先月頃から嫁に行く相談があるんだそうです。馬道《うまみち》の上州屋という質屋の息子がひどく妹の方に惚れ込んでしまって、三百両の支度金でぜひ嫁に貰いたいと、しきりに云い込んで来ているんです。三百両の金もほしいが看板娘を連れて行かれるのも困る。痛《いた》し痒《かゆ》しというわけで、親達もまだ迷っているうちに、婿取りの姉の方がこんなことになってしまったから、妹をよそへやるという訳には行きますめえ。どうなりますかね」
「妹には内証の情夫《おとこ》なんぞ無かったのか」と、半七は又訊いた。
「さあ、そいつは判りませんね。そこまではまだ手が達《とど》きませんでしたが……」と、源次は頭を掻いた。
「面倒でも、それをもう一度よく突き留めてくれ」

     二

 源次を帰したあとで、半七は帷子《かたびら》を着かえて家を出た。彼は下谷へゆく途中、明神下の妹の家をたずねた。
「おや、兄さん。相変らずお暑うござんすね」と、お粂《くめ》は愛想よく兄を迎えた。
「おふくろは……」
「御近所のかたと一緒に太郎様へ……」
「むむ、太郎様か。この頃は滅法界にはやり出したもんだ。おれもこのあいだ行って見てびっくりしたよ。まるで御開帳のような騒ぎだ」
「あたしもこのあいだ御参詣に行っておどろきました。神様もはやるとなると大変なもんですね」
「時にこんな物を加賀様のお手古《てこ》の人に貰ったから、おふくろにやってくんねえ」
 半七は風呂敷をあけて落雁《らくがん》の折《おり》を出した。
「ああ、墨形《すみがた》落雁。これは加賀様のお国の名物ですってね。家《うち》でも一度貰ったことがありました。阿母《おっか》さんは歯がいいから、こんな固いものでも平気でかじるんですよ」と、お粂は笑っていた。
 彼女は茶を淹《い》れながら、兄に訊いた。
「兄さん。この頃は忙がしいんですか」
「むむ、たいしてむずかしい御用もねえが、広徳寺前にちょっとしたことがあるから、これからそっちへ行って見ようかと思っている」
「広徳寺前……。舐め筆の娘じゃないの」
「おまえ知っているのか」
「あの娘は姉妹とも三味線堀のそばにいる文字春さんという人のところへお稽古に行っていたんです。妹はまだ行っているかも知れません。その姉さんの方が頓死したというんで、あたしもびっくりしました。毒を飲んだというのはほんとうですか」
「そりゃあほんとうだが、自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、そこのところがまだはっきりとおれの腑に落ちねえ。おまえ、その文字春という師匠を識っているなら、そこへ行って妹のことを少し訊いて来てくれねえか。妹はどんな女だか、なにか情夫《おとこ》でもあるらしい様子はねえか、東山堂の親達はどんな人間か、そんなことを判るだけ調べて来てくれ」
「よござんす。お午過ぎに行って訊いて来ましょう」
「如才《じょさい》もあるめえが、半七の妹だ。うまくやってくれ」
「ほほほほほ。あたしは商売違いですもの」
「そこを頼むんだ。うまく行ったら鰻ぐらい買うよ」
 妹に頼んで半七はそこを出ると、どこの店でももう日よけをおろして、残暑の強い朝の日は蕎麦屋の店さきに干してあるたくさんの蒸籠《せいろう》をあかあかと照らしていた。
 徳法寺をたずねて住職に逢うと、住職はもう七十くらいの品のいい老僧で、半七の質問に対して一々あきらかに答えた。徒弟の善周は船橋在の農家の次男で、九歳《ここのつ》の秋からこの寺へ来て足かけ十二年になるが、年の割には修行が積んでいる。品行もよい。自分もその行く末を楽しみにしていたのに、なんの仔細でこんな不慮の往生を遂げたのか一向判らない。無論に書置もない、毒薬らしい物もあとに残っていない。したがって詮議のしようもないのに当惑していると、老僧は白い眉をひそめて話した。
 筆屋の娘との関係については、かれは絶対に否認した。
「なるほど、近所ずからの事でもあれば、筆屋の店に立ち寄ったこともござろう。娘たちと冗談ぐらいは云ったこともござろう。しかし娘といたずら事など、かけても有ろう筈はござらぬ。それは手前が本尊阿弥陀如来の前で誓言《せいごん》立てても苦しゅうござらぬ。たとい何人《なんぴと》がなんと申そうとも、左様の儀は……」
 立
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