へは置けねえぞ」と、半七は又笑った。「どうだい。いっそ常磐津の師匠なんぞを止めて御用聞きにならねえか」
「ほほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥《ばち》の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか」
「ははは、堪忍しろ。それからどうだと云うんだ」
「もういやよ。あたしなんにも云いませんよ。ほほほほほほ。あたしもう姉さんの方へ行くわ」
お粂は笑いながら女房のいる方へ起ってしまった。冗談半分に聞き流していたものの、妹の鑑定はなかなか深いところまで行き届いていると半七は思った。自分が源次に云いつけて、上州屋の奉公人どもの身許《みもと》をあらわせたのも、つまりはそれと同じ趣意であった。そして文字春の窓をたびたびのぞいていた娘と、東山堂へ筆を取り換えに来た娘と、その年頃から人相まで同一である以上、自分の判断のいよいよ誤らないことが確かめられた。半七は生簀《いけす》の魚を監視しているような心持でその晩を明かした。
あくる朝になって、源次が来た。その報告によると、上州屋の奉公人は番頭小僧をあわせて男十一人、仲働きや飯炊きをあわせて女四人である。この十五人の身許を洗うにはなかなか骨が折れたが、馬道の庄太の手をかりて、まず一と通りは調べて来たと云った。男どもの方は後廻しにして、半七は先ず女の方のしらべを訊くと、仲働きはお清、三十八歳。お丸、十七歳。台所の下女はお軽、二十二歳。お鉄、二十歳というのであった。
「このお丸というのはどんな女だ」
「芝口の下駄屋の娘で、兄貴は家の職をしていて、弟は両国の生薬屋《きぐすりや》に奉公しているそうです」と、源次は説明した。
「よし、判った。すぐにその女を引き挙げなければならねえ」
「へえ、そのお丸というのがおかしいんですかえ」
「むむ、お丸の仕業《しわざ》に相違ねえ。弟が薬種屋に奉公しているというなら猶《なお》のことだ。よく考えてみろ。舐め筆の娘の死んだ日にお丸そっくりの女が筆を買いに来て、一|※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《とき》ばかり経って又その筆を取り換えに来た。そこが手妻《てずま》だ。取り換えに来たときに、筆の穂へなにか毒薬を塗って来たに相違ねえ。そうして、ほかの筆と取り換えて、その筆を置いて行ったんだ。勿論、なめ筆の評判を知っての上で巧んだことに決まっている。娘はそれを知らねえで、その筆を売る時にいつも
前へ
次へ
全17ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング