も与次郎殺しの徒党ですから、迂濶にそれを口走れば自分の身が危いので、ただ嚇かすばかりで思い切ったことも出来ない。それを知って、善昌もいい加減にあしらっているので、お国はますます焦れ込んで、何がなしに善昌を困らせてやろうと思って、祈祷の中日《なかび》の前夜に押し掛けて行って、大事の弁天様を無理無体にかつぎ出してしまったのです。これには善昌もまったく困って、信者にはいい加減の出たらめを云って、誤魔化しておいて、お国の方へいろいろに泣きを入れると、お国もようよう納得して、きっと覚光と手を切るならば戻してやると云って、十五日の夜ふけにかの木像を返しに来たんです。
それから先のことは、なにぶん一方のお国が死んでいるので、善昌の片口だけではよく判りませんが、ともかくも二人が酒を飲むことになって、お国が油断して酔ってしまったところを、善昌が不意に絞め殺したらしいのです。本人は一時の出来心だと云っていましたが、どうも前から巧んだことらしい。善昌はどうしても覚光のことが思い切れない、さりとて打っちゃって置けば何を云い出すか判らないという懸念があるので、とうとうこんなことになってしまったんです。お国の死骸には自分の法衣《ころも》を着せかえて、わざと手足を縛って、台所の揚板の下へ引き摺って行って、まだ少し息の通っている女の首を……。いやどうも残酷な奴です。
こうして、自分が強盗に殺されたように仕組んだ以上、うかうかしてはいられないので、有り金は勿論、目ぼしい物は一と包みにして弁天堂を逃げ出すことになりました。お国の首は滅多なところへ隠されないので、これも抱え込んで行ったのです。ゆく先は普在寺で、覚光に一切のことを打ち明けて、当分はここに隠まってくれと云われた時には、さすがの覚光も顔の色を変えて驚いたが、迂濶に善昌を突き出すと、自分の女犯《にょぼん》その他の不行跡が残らず露顕する虞《おそ》れがあるので、迷惑ながらともかくも隠まうことにして、お国の首は墓地の隅に埋めて置いたというわけです。わたくしも新らしい卒堵婆をたてた墓がどうもおかしい、そこを掘ったらばお国の首が出るだろうと思ったんですが、むかしでも墓荒しは非常にやかましいのですから、そのときは一旦無事に引き揚げて、町方《まちかた》からあらためて寺社奉行へ届けた上で、わたくし共が捕り方に出向きました」
「善昌は素直につかまりましたか」
「わたくしが先ず住職の覚光に逢って光明弁天堂の善昌という尼がこの寺内にいる筈だから引き渡してくれと云うと、坊主も最初はしら[#「しら」に傍点]を切っていましたが、そんなら墓地の新らしい墓を掘らせてくれと云うと、坊主ももう真っ蒼になりました。善昌も覚悟したとみえて、この掛け合いのあいだに裏口からぬけ出そうとするところを、そこに張り込んでいた熊蔵に取り押えられました。こいつも強情で、最初はなんとか彼とか云い抜けようとしていました。木像に油の匂いがする、死骸の手にも油の匂いがする。墓地からはお国の首が出るというのですから、もう逃がれようはありません。とうとう恐れ入って白状しました。善昌は無論に獄門です。覚光も一旦は入牢《じゅろう》申し付けられ、日本橋に晒《さら》しの上で追放になりました。
そこで、問題の蝶合戦ですが、善昌も覚光という相手が出来て、それに入れ揚げる金が要るので、なにか金儲けの種をこしらえようと思っているところへ、井伊大老の桜田事件などが出来《しゅったい》して、世間がなんだかざわ[#「ざわ」に傍点]付いているので、そこへ付け込んで今年もまた大騒動があるなどと触れ散らかし、祈祷料でも巻きあげる算段をしていると、丁度かの蝶合戦があったので、お有難連はすっかり煙《けむ》にまかれて、これはきっと何かの前兆だということになったので、善昌は万事思う壺にはまって内心大喜びでいると、それがお国には面白くない。善昌が金儲けをすれば、きっと覚光のところへ運んで行くだろうと思うと、いよいよ妬けて堪まらないので、本尊の木像をかつぎ出すやら、坊主と手を切れと責めるやら、大騒ぎをやった挙げ句の果てが、更にこんな大騒ぎを仕出かしてしまったんです」
「その弁天様はどうなりました」と、わたしは訊いた。
「善昌の仕置がきまると、弁天堂は取り毀されましたが、始末に困ったのはその木像で、かりにも弁天様と名の付くものをどうすることも出来ない。さりとて引き取る者もないので、とうとう評議の上で川へ流すことになりました。それが流れて行くときに一匹の白い蛇が巻き付いていたという評判で、それは善昌の魂だなどと云い触らす者もありましたが、なに、それはみんな嘘の皮で、むかしの人はややもすると斯ういうことを云い触らす。又すぐにそれを信用する。畢竟《ひっきょう》それだから善昌の尼などの食いものになったのでしょうね。
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