思った。しかしだんだんその話を聴いてみると、これも一種の復讐には相違なかった。
長吉の父は長左衛門といって、信州善光寺の在《ざい》に住んでいた。お照の父の新兵衛はむかしは新吉といって、やはり同じ村に生まれた者であった。長左衛門も新兵衛も土地では札付きの悪党であったらしい。今から十三年前に二人は共謀して隣り村の或る大尽《だいじん》の家へ押し込みにはいって、主人夫婦と娘とをむごたらしく斬り殺した。その詮議があまり厳重になったので、新兵衛は土地の御用聞きのところへ駈け込んで、その罪人は長左衛門であると密告した。かれも共犯者であるらしいことは御用聞きも薄々察したであろうが、密告の功によって彼は自由に土地を立ち退くことが黙許された。彼はすぐに何処へか逃げてしまった。長左衛門は召捕られて磔刑《はりつけ》になった。
新兵衛は友を売って自分の身を全うしたのである。その事情が長左衛門の遺族の耳にも洩れたが、御用聞きも黙許で彼を逃がしたのであるから、今更どうすることも出来なかった。長左衛門の女房は非常にそれを口惜しがって、死ぬきわまでも不実の友を呪っていた。長左衛門には長平という弟があって、これも兄とおなじ血をわけた悪党で、兄が仕置になった当時は隣国の越後の方にさまよっていたが、これを聞き伝えて故郷へ帰って来た。新兵衛の裏切りを聞いて彼もひどく憤ったが、自分もうしろ暗い身のうえで、表向きには立派な口を利けないので、恨みを呑んで再びどこへか立ち去ってしまった。
それから十年ほど経って、長平は久し振りで故郷へ又帰ってくると、嫂《あね》はもう死んでいた。甥の長吉は両国の河童に売られたという噂も聞いた。かさねがさねの一家の悲運を見て、長平もさすがに心さびしくなった。ここらでもう料簡を入れ替えて、兄や自分の罪ほろぼしに六十六部となって廻国修行の旅に出ようと思い立った。彼は仏の像を入れた重い笈《おい》を背負って、錫杖《しゃくじょう》をついて、信州の雪を踏みわけて中仙道へ出た。それから諸国をめぐりあるいて江戸へはいって来たのは、ことしの花ももう散りかかる三月のなかばであった。彼は下谷辺のある安宿を仮《かり》の宿として、江戸市中を毎日遍歴した。
彼がふた月あまり江戸に足をとどめている間に、殆ど同時に敵と味方とにめぐりあったのであった。かたきは彼《か》のお照の父で、新吉の名を今は新兵衛と呼びかえて、柳橋に芸妓屋を開いていることが判った。甥の長吉はやはり河童になって、両国の観世物小屋に晒《さら》されていることが判った。長平は甥にも逢った。偶然の機会から新兵衛にも出逢った。
新兵衛はもう生まれ変ったような善人になっているので、むかしの友達の弟に逢ってしきりに過去の罪を謝した。自分たちが手にかけた大尽一家の菩提《ぼだい》を弔うばかりでなく、長左衛門が仕置に逢ったのは二月四日で、その命日に毎月かならず放し鰻の供養を怠らないと云った。彼はある寺から長左衛門の戒名を貰って来て、仏壇に祀《まつ》ってあることも話した。長平もむかしとは人間が違っているので、悔い改めているこの善人を執念ぶかく責めることも出来なくなった。かれは新兵衛の罪をゆるすと云った。新兵衛はよろこんで、御報捨のしるしだと云って彼に二十両の金を贈った。
その金が二人の禍いであった。久し振りで二十両の大金を受け取った六十六部は、その晩すぐに服装《みなり》をこしらえて吉原へ遊びに行った。それが口火《くちび》になって彼の殊勝らしい性根はだんだんに溶けてしまった。六十六部は再び昔の長平に立ちかえって、新兵衛のところへ度々無心に行った。しまいには金の無心ばかりでなく、彼は新兵衛の貰い娘《こ》のお照の美しいのを見て、飛んでもない無心までも云い出すようになった。相手の飽くことのない誅求《ちゅうきゅう》には、新兵衛もさすがにもう堪えられなくなって、終には手きびしくそれを拒絶すると、長平はいよいよ羊の皮裘《かわごろも》をぬいで狼の本性をあらわした。彼は甥の河童をそそのかして親のかたきを討たせたのであった。
「これは河童の長吉の白状と、長平の白状とをつきまぜたお話で、長吉は叔父の手さきに使われて、ただ一途に親父のかたき討の料簡でやった仕事なんです」と、半七老人は説明した。「つまり新兵衛の方はすっかり善人になり切っていたんですが、長平の魂はまだほんとうの善人になり切らないもんですから、すぐにあと戻りをして、とうとうこんな事件を出来《しゅったい》させてしまったんですよ」
「長平は勿論つかまったんですね」と、わたしは訊いた。
「河童の白状で大抵見当が付きましたから、それからお照の家の近所に毎晩張り込んでいますと、新兵衛の初七日《しょなのか》が済んだ明くる晩に、案の定《じょう》その長平が短刀を呑んで押し込んで来て、どうする積りか
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング