作り話なら知らぬこと、実際には滅多《めった》にありそうにもないように思われた。
「それにしても、姉さんはなぜ止められたんだ。云い取り方が拙《まず》かったんだね」
「そうでしょう。止められると聞いたら、姉さんは蒼い顔をして黙っていました」
「姉さんは一体どんなことを調べられた。おめえも一緒に行ったんだから、知っているだろう」
 この問いに対して、お浪は捗々《はかばか》しい返事をしなかった。彼女はお仙が出してくれた団扇を弄《いじ》くりながら、黙って俯向いていた。
「おい、何もかも正直に云ってくれねえじゃあいけねえ。姉さんが助かるのも助からねえのも、おめえの口一つにあることだ、なんでもみんな隠さずに云って貰いてえ。姉さんはこの頃なにか親父《ちゃん》と折り合いの悪いことでもあったんじゃあねえか」
「ええ。この頃は時々に喧嘩をすることがあるんです」と、お浪はよんどころなしに白状した。
「情夫《れこ》の一件かえ」
「いいえ、そうじゃないんです」
「だって、姉さんには米沢町《よねざわちょう》の古着屋の二番息子が付いているんだろう」
「それはそうですけれど、喧嘩の基《もと》はそれじゃないんです。家《うち》のお父っさんが柳橋を引き払って、沼津とか駿府とか遠いところへ引っ越してしまおうというのを、姉さんが忌《いや》だと云って……」
「そりゃあ忌だろう」と、半七はうなずいた。「なぜ又、おめえのところの親父《ちゃん》はそんなおかしなことを出しぬけに云い出したんだ。なにか訳があるだろう」
「それは判らないんですが、ただ無闇にこの土地にいるのは面白くないと云って……。それで姉さんとたびたび喧嘩をしているんです。あたしも中へはいって困ったこともありますが、なぜ引っ越すんだか、その訳が判らないんですもの。良いとも悪いとも云いようがありません」
「おかしいな。すると、その矢先に親父が殺されたんで、姉さんが……。まさかに自分が手をくだしもしめえが、何かそれに係り合いがあるだろうと見込みを付けられたんだね。まあ、無理もねえところだ。おれにしても先ずそんなことを考える。そこで古着屋の二番息子はまだ呼ばれなかったかえ」
「呼びに行ったんでしょう。ですけれど、ゆうべから何処へか行って、まだ帰らないんだそうです」
「あの息子は何とか云ったっけね」
「定さんというんです」
「違げえねえ。定次郎というんだね。その定
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