みちわる》の上に着物の裳《すそ》を引き摺って、跣足《はだし》でびちょびちょ[#「びちょびちょ」に傍点]歩いているので、あとから行くお武家さんが声をかけて……お武家さんは少し酔っていらっしゃるようでした……おい、おい、小僧。なぜそんなだらしのない装《なり》をしているんだ。着物の裳をぐい[#「ぐい」に傍点]とまくって、威勢よく歩けと、うしろから声をかけましたが、小僧には聞えなかったのか、やはり黙ってびちょびちょ[#「びちょびちょ」に傍点]歩いているので、お武家はちっと焦《じ》れったくなったと見えまして、三足ばかりつかつかと寄って、おい小僧、こうして歩くんだと云いながら、着物の裳をまくってやりますと……。その小僧のお尻の両方に銀のような二つの眼玉がぴかりと……。わたくしはぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として立ちすくみますと、お武家はすぐにその小僧の襟首を引っ掴んで堤下《どてした》へほうり出してしまいました。そうして、ははあ、河童だと笑いながらすたすた[#「すたすた」に傍点]と行っておしまいなさいました。わたくしは急に怖くなって、急いで家へ逃げて帰ってまいりました」
 半七は幸次郎と眼をみあわせた。
「そうして、その化け物はどっちの堤下へ投げられたんですえ」
「川寄りの方でございます」
「なるほど不思議なことがあるもんですね」
 勘定を払って、二人は怱々にそこを出た。

     四

「親分。そのお化けというのは河童ですね」と、幸次郎はささやいた。
「ちげえねえ。たしかに河童だ」
 粗忽《そそっか》しい武士はほんとうの河童だと思ったかも知れないが、それは河童の長吉に相違ないと半七は思った。両国の河童は真っ黒に塗った尻の右と左に金紙や銀紙を丸く貼りつけて、大きい眼玉と見せかけ、その尻を無造作に観客の方へむけて、四つン這いに這いまわるのを一つの芸当としている。酔っている武士と、臆病な亭主とは、ゆう闇の薄暗がりでその尻の眼玉におどろかされたのであろうが、半七から観れば、その尻の光ったというのが却ってほんとうの化け物でない証拠であった。
「なにしろ、早く堤下へ行ってみようぜ」
 亭主の教えてくれたのは此処らであろうと見当をつけて、二人は隅田川に沿うた堤下に降りると、岸と杭《くい》とのあいだに挟まって何か黒いものが横たわっているらしかった。幸次郎はすぐに引き摺りあげて見ると、果たして
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