て、そのそばに七つ八つの男の児が立っていた。
「もし、おかみさんえ」と、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。「あすこの富蔵さんはお留守ですかえ」
「富さんはいませんよ」と、女房は素気《そっけ》なく答えた。「きょうは薬研堀《やげんぼり》の方へでも行ったかも知れません」
 富蔵は独身者《ひとりもの》で、香具師とはいうものの自分が興行をしているのではない。どこかの観世物小屋に雇われて木戸番を勤めているらしいことは、亀吉の報告でわかっていた。半七は小声でまた訊いた。
「あの富さんの家《うち》に猫が飼ってありましたか」
「猫ですか。あの猫じゃあ……」
 云いかけて女房は口を噤《つぐ》んでしまった。
「その猫がどうかしましたかえ」
 女房は自分のうしろをちょっと見かえってやはり黙っていた。素直には云いそうもないと思って、半七はふところに手を入れた。
「ここにいるのはおかみさんの子供かえ、おとなしそうな児だ。小父さんが御歳暮に紙鳶《たこ》を買ってやろうじゃねえか。ここへ来ねえ」
 紙入れから一朱銀を一つつまみ出してやると、裏店《うらだな》の男の児はおどろいたように彼の顔をみあげていた。女房は前垂れで濡れ手をふきながら礼を云った。
「どうも済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。おまえ、よくお辞儀をおしなさいよ」
「なに、お礼にゃあ及ばねえ。そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、その猫がどうしたのかえ。その猫が逃げたんじゃあねえか」
「逃げたのならまだいいんですけど……」と、女房は小声で云った。「殺されたんですよ」
「誰に殺された」
「それがおかしいんですよ。富さんのいない留守に化け猫と間違って殺されてしまったんですが、そりゃあ無理もありません。あの猫は踊るんですもの」
「それじゃあ商売物だね」
「まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも大変に怒りましてね」
 一朱銀の効き目で、女房はその日の出来事をぺらぺらとしゃべり出した。

     三

 富蔵の隣りにお津賀《つが》という二十五六の小粋《こいき》な女が住んでいる。よほどだらし[#「だらし」に傍点]のない女で、旦那取りをしているというのであるが、定《きま》った一人の旦那を守っているのでは無いらしく、大勢の男にかかり合って一種の淫売《じごく》同様のみだ
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