「恐れ入りました」と、勇吉は素直に手をついた。
「むむ、そうか」と、常吉はうなずいた。「よく素直に申し立てた。そこで、なぜ長太郎をやっつける気になった。長太郎になにか遺恨でもあるのか」
「どうも仇《かたき》のように思われてなりませんので……」
「かたき……。むむ、おめえは津の国屋の番頭の親類だということだな」
「はい。金兵衛の縁で津の国屋へ奉公にまいりました」
「その金兵衛の仇……。長太郎が金兵衛を殺したのか」と、常吉は念を押した。
「どうもそう思われてなりません」と、勇吉は眼をふいた。
それには何か証拠があるかと常吉が押し返してきくと、勇吉は別に確かな証拠はないと云った。併しどうもそう思われてならない。金兵衛は自分の親類であるが、決して主人と不義密通を働くような人間ではない。かれの死骸を土蔵の中で発見した時から、これは自分で首をくくったのではない、誰かが彼を絞め殺してその死骸を土蔵の中へ運び込んだのに相違ないと判断したが、何分にも確かな証拠がないので、自分はよんどころなしに今まで黙っていたのであると、勇吉は申し立てた。それにしても、数ある奉公人の中でどうして長太郎一人を下手人と疑ったのかと、常吉はかさねて詮議すると、その前日の午《ひる》すぎに長太郎が主人の娘に向って何か冗談を云った。それがあまりにしつこいのと猥《みだ》りがましいのとで、帳場にいた金兵衛が聞き兼ねて、大きい声で長太郎を叱り付けた。叱られた長太郎はすごすご起って行ったが、その時に彼は怖い眼をして金兵衛をじろりと睨んだ。その鋭い眼つきが今でも自分の眼に残っていると勇吉は云った。
併しそれだけのことでは表向きの証拠にならないので、勇吉は口惜しいのを我慢していると、今夜の事件が測らずも出来《しゅったい》した。憎らしい長太郎が主人の娘を脅迫して、どこへか連れて行こうとするのである。今年十六の勇吉はもう堪忍ができなくなって、いっそ彼を殺してお雪を救おうと、咄嗟《とっさ》のあいだに思案を決めたのであった。
「よし、よし、よく申し立てた」と、常吉は満足したようにうなずいた。「傷養生をして後日《ごにち》の御沙汰を待っていろ。かならず短気を出しちゃあならねえぞ。金兵衛の仇はまだほかにも大勢ある。それは俺がみんな仇討ちをしてやるから、おとなしく待っていろ」
「ありがとうございます」と、勇吉は再び眼を拭いた。
勇吉をいたわって、あとから津の国屋へ送ってやるようにと町《ちょう》役人に云いつけておいて、常吉はすぐに津の国屋へ引っ返して行こうとして、文字春の家の前を通りかかると、家の中では何かけたたましい女の叫び声がきこえた。それが耳について思わず立ちどまる途端に、水口《みずくち》の戸を押し倒すような物音がして、ひとりの女が露路の中から転がるように駈け出して来た。つづいて又一人の女が何か刃物をふり上げて追って来るらしかった。常吉は飛んで行って、あとの女の前に立ちふさがると、女は夜叉《やしゃ》のようになって彼に斬ってかかった。二、三度やりたがわして其の刃物をたたき落して、常吉は叫んだ。
「お角、御用だ」
御用の声を聞くと、女は掴まれた腕を一生懸命に振りはなして、もとの露路の奥へ引っ返して駈け込んだ。常吉はつづいて追ってゆくと、逃げ場を失ったものか但しは初めから覚悟の上か、かれはそこにある井戸側に手をかけたと思うと、身をひるがえして真っ逆《さか》さまに飛び込んだ。
長屋じゅうの手を借りて常吉はすぐに井戸の中から女を引き揚げさせたが、かれはもう息が絶えていた。それが文字春の世話で津の国屋へ奉公に行ったお角であることは、常吉も初めから知っていた。文字春の話によると、たった今その水口の戸をそっとたたいて師匠に逢いたいという者がある。この夜更けに誰か知らんと思いながら、文字春は寝衣《ねまき》のままで出て見ると、それはかのお角で、お前が余計なおしゃべりをしたもんだから何もかもばれてしまったと云いながら、隠していた剃刀《かみそり》でいきなりに斬ってかかったので、文字春はおどろいて表へ逃げ出したというのであった。
「大方そんなことだろうと思った。だが、まあ、怪我がなくてよかった」と、常吉は云った。
女房と番頭と二人の死人を出した津の国屋では、それから十日も経たないうちに、又もや長太郎とお角と二人の死人を出した。しかし、これで丁度差し引きが付いたのであるということが後に判った。
九
津の国屋のお藤を絞め殺したのは、女中のお角であった。金兵衛を絞め殺したのは、勇吉の想像の通りに若い者の長太郎であった。かれらは女房と番頭が熟睡しているところを絞め殺して、二つの死骸をそっと土蔵の中へ運び込んで、あたかも二人が自分で縊《くび》れ死んだようによそおったのであった。
津の国屋の親戚で、下谷に
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