んが殺したなぞとは実に飛んでもないことで……。けさほど宿許《やどもと》から徳蔵がまいりまして、仏の遣言というのを楯《たて》に取って、どうも面倒なことを申します」
「その徳蔵というのは親父ですかえ」
「いえ、徳次郎の兄でございます。親父もおふくろもとうに歿しまして、只今では兄の徳蔵……たしか二十五だと聞いております。それが家の方をやっているのでございます。ふだんは正直でおとなしい男ですが、きょうは人間がまるで変ったようでございまして、いくら主人の娘でも無暗《むやみ》に奉公人を殺して済むかというような、ひどい権幕《けんまく》の掛け合いに、主人方でも持て余して居ります。唯今も申し上げる通り、手前の方に居ります時には、ちっとも口の利《き》けなかった病人が、家へ帰ってからどうしてそんなことを云いましたか、どうもそこが胡乱《うろん》なのでございますが、徳蔵は確かにそう云ったと申します。いわば水かけ論で、こちちではあくまでも知らないと突き放してしまえば、まあそれまでのようなものでございますが、なにぶんにも世間の外聞もございますので、手前共が気を痛めて居ります」
「お察し申します」と、半七はうなずいた。「そりゃあお困りでしょう」
「勿論、手前方でも相当のとむらい料を遣《つか》わすつもりで居りますが、どうもその、相手方の申し条が法外でございまして、どうしても三百両よこせ、さもなければ、お此さんを下手人《げしゅにん》に訴えると申すのでございます。それもお此さんが確かに殺したものならば、百両が千両でも素直に出しますが、今申す通りの水かけ論で、こちらから疑えば……まあ強請《ゆすり》とも、云いがかりとも、思われないこともございません。主人に代って、手前が対談いたしまして、まず十五両か二十両で句切ろうと存じたのでございますが、相手がどうしても承知いたしません。とどの詰りが当座のとむらい料と申し、三両だけ受け取りまして、いずれ葬式《とむらい》のすみ次第あらためて掛け合いにくると云って帰りましたが、親分さん、これはどうしたものでございましょう」
山城屋も相当の身代《しんだい》ではあるが、三百両といえば大金である。まして因縁をつけられて、なんの仔細もなしに其の大金を絞り取られるのは迷惑であろう。利兵衛がどうしたものであろうと相談をかけるのも、所詮は半七の力をかりて、なんとか相手をおさえ付けて貰いた
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