帰って来なかった。この間に半七は油断なくそこらを見まわすと、きのうもきょうも商売を休んでいるので、店の流しは乾いていた。盤台も片隅に積んであった。その盤台のかげの方に大きい蠑螺《さざえ》や赤貝の殻《から》が幾つもころがっているのが、彼の眼についた。なかなか大きい貝だと思いながら、彼は立ち寄ってその一つ二つを手に把ってみると、貝はいずれも殻ばかりで、その中の最も大きい蠑螺はうつ伏せになっていた。その蠑螺の尻をつかんで引っ立てようとすると、それはひどく重かった。横にころがして貝のなかを覗くと、奥にはなにか紙のようなものが押し込んであるらしいので、すぐに抽《ひ》き出してあらためると、それはたしかに百両包みであった。つつみ紙には血のついた指のあとが残っていた。
 あたりの人たちに覚《さと》られないように、半七はその百両包みをふところに忍ばせた。まだほかに何か新しい発見はないかと見まわしているところへ、表から彼《か》の伝介がふらりとはいって来た。商売にまわる途中と見えて、きょうは煙草の荷を背負っていた。かれは半七の顔を見て、さらに内の様子を見て、すこし躊躇しているらしかった。
「お早うございます。きのうは御苦労さまでございます」と、彼は半七に挨拶した。「きょうもなんだか取り込んでいるようですね」
「むむ。大取り込みだ。徳蔵はゆうべ殺された」
「へええ」と、伝介は口をあいたままで突っ立っていた。
「ところで、おめえに少し訊きてえことがある。ちょいと裏へまわってくれ」
 おとなしく付いて来る伝介を導いて、半七は横手の露地から裏手の井戸端へまわった。

「もうここまでお話をすれば、大抵お判りでしょう」と、半七老人は云った。「伝介はお留が吉原にいた頃からの馴染《なじみ》で、年《ねん》があけても自分の方へ引き取るほどの力もないので、相談ずくで徳蔵の家《うち》へ転げ込ませて、自分もそこへ出這入りしていたんですが、よほど上手に逢い曳きをやっていたとみえて、亭主は勿論、近所の者も気がつかなかったんです。ところで、不思議なことには、そのお留という女は勤めあがりで、おまけにそんな不埒《ふらち》を働いている奴にも似あわず、おそろしくかいがいしい女で、働くにはよく働くんです。世間体をごまかす為ばかりでなく、まったく服装《なり》にも振りにも構わずに働いて、一生懸命に金をためる。色男の伝介には何一つ貢《
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