んだ。半七も少し煙《けむ》にまかれた。
「はて、変なことがあるもんだな。それからどうした」
「わたくしもびっくりしてはっ[#「はっ」に傍点]と思っていますと、七之助さんはいきなり天秤棒を振りあげて、おふくろさんの脳天を一つ打ったんです。急所をひどく打ったと見えて、おまきさんは声も出さないで土間へ転げ落ちて、もうそれ限《ぎ》りになってしまったようですから、わたくしは又びっくりしました。七之助さんは怖い顔をしてしばらくおふくろさんの死骸を眺めているようでしたが、急にまたうろたえたような風で、台所から出刃庖丁を持ち出して、今度は自分の喉を突こうとするらしいんです。もう打捨《うっちゃ》っては置かれませんから、わたくしが駈け込んで止めました。そうして訳を訊きますと、七之助さんの眼にもやっぱりおふくろさんの顔が猫に見えたんだそうです。猫がいつの間にかおふくろさんを喰い殺して、おふくろさんに化けているんだろうと思って、親孝行の七之助さんは親のかたきを取るつもりで、夢中ですぐに撲《ぶ》ち殺してしまったんですが、殺して見るとやっぱりほんとうのおふくろさんで、尻尾《しっぽ》も出さなければ毛も生えないんです
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