味というのは、旗本御家人の子弟に対する学問の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく通過した者でなければ一人前とは云われない。吟味の前月までに組々の支配頭へ願書を出しておくと、当日五ツ半(午前九時)までに聖堂に出頭せよという達《たっし》がある。それを受け取った何十人、年によっては何百人の男の児が、当日打ち揃って聖堂の南楼へ出て、林《はやし》図書頭《ずしょのかみ》をはじめとして諸儒者列席の前に一人ずつ呼び出され、一間半もある大きい唐机《からづくえ》の前に坐って素読の試験を受けるのである。成績優等のものに対しては、身分に応じて反物や白銀の賞与が出た。
出頭の時刻は五ツ半というのであるが、前々からの習慣で、吟味をうける者は六ツ時(午前六時)頃までに聖堂の門にはいるのを例としていたので、屋敷の遠い者は夜のあけないうちから家を出て行かなければならない。そうして、いよいよ吟味のはじまる四ツ時(午前十時)まで待っていなければならない。たとい武家の子供だと云っても、ちょうど十二三のいたずら盛りが大勢一度に寄り合うのであるから、控え所のさわぎは一と通りでないのを、勤番支配の役人どもが叱ったり賺《すか》したりして辛くも取り鎮めているのである。子供たちは身分に応じて羽二重の黒紋付の小袖を着て、御目見《おめみえ》以上の家の子は継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《つぎがみしも》、御目見以下の者は普通の麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けていた。
角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣《かたぎぬ》に萠黄《もえぎ》の袴という継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥《りきや》のように美しかった。大身《たいしん》の子息であるから、かれは山崎平助という二十七歳の中小姓《ちゅうごしょう》と、又蔵という中間とを供につれて出た。裏四番町の屋敷を出たのは当日の七ツ(午前四時)を少し過ぎた頃で、尖った
前へ
次へ
全17ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング