四
お元の情夫が十右衛門を傷つけて金を取ったのか、河獺が十右衛門を傷つけて、財布を別に取り落したのか、所詮は二つに一つでなければならない。半七は中の郷へ行って、近所の評判を聞いてみると、お元は十右衛門がいうような悪い女ではないらしかった。兄は先年死んだので、自分が下谷の隠居の世話になって老婆を養っているが、こんな身分の若い女には似合わない、至極|実体《じってい》なおとなしい女であるという噂であった。それを聞いて半七も少し迷った。
それにしても一応は本人にぶつかって見ようと思って、かれは瓦町のお元の家へゆくと、小柄な色白の娘が出て来た。それがお元であった。
「下谷の隠居さんはゆうべ来ましたか」と、半七は何気なく訊いた。
「はい」
「よっぽど長くいましたか」
「いいえ、あの門口《かどぐち》で……」と、お元は顔を少し紅くしてあいまいに答えた。
「家《うち》へあがらずに帰りましたかえ。いつもそうですか」
「いいえ」
「ゆうべは政吉さんという人が来ていましたが、あの人はおまえさんの従弟ですか」
お元は躊躇して黙っていた。これは正面から問い落した方がいいと思ったので、半七は正直に名乗った。
「御用で調べるんだから、隠しちゃあいけねえ。隠居の帰ったあとで、政吉はどこかへ出て行ったろう」
お元はやはり不安らしく黙っていた。
「隠さずに云ってくれ。こうなれば判然《はっきり》云って聞かせるが、下谷の隠居は中の郷の川端で誰かに疵をつけられて、首にさげていた財布を取られたので、おれはそれを調べに来たんだ。おめえも隠し事をして、飛んだ引き合いを食っちゃあならねえ。知っているだけのことはみんな正直に云ってしまわねえと、おめえのためにならねえぜ」
おどすように睨まれて、お元は真っ蒼になった。そうして、政吉は昨夜どこへも行かないと顫《ふる》え声で申し立てた。そのおどおどしている様子で、半七はそれが嘘であることをすぐ看破《みやぶ》った。彼は確かにそうかと念を押すと、お元はそれに相違ないと云い切った。しかし彼女の顔色がだんだん灰色に変って。もう死んだ者のようになってしまったのが半七の注意をひいた。彼はどうしても此の女の申し立てを信用することが出来なかった。
「もう一度きくが、たしかになんにも知らねえか」
「存じません」
「よし、どこまでも隠し立てをするなら仕方がねえ、ここで調べられねえから一緒に来い」
彼はお元の手をつかんで引っ立てて行こうとすると、奥から五十ばかりの女があわてて出て来て半七の袖にすがった。彼女はお元の母のお石であった。
「親分さん。どうぞお待ちくださいまし。わたくしから何もかも申し上げますから、どうぞ此女《これ》はお赦しねがいます」
「正直に云えば上《かみ》にもお慈悲はある」と、半七は云った。
「実はその政吉はわたくしの甥で、瓦職人をいたして居ります。この娘と行くゆくは一緒にするという約束もございましたが、いろいろの都合がありまして、娘も唯今では他人《ひと》さまのお世話になって居りますような訳でございます。その政吉が昨晩たずねてまいりまして、娘やわたくしと火鉢の前で話して居りまして……。実のところ、下谷の旦那はなかなか吝《しま》っていらっしゃる方で、月々の極めた物のほかには一文も余計に下さらないもんですから、この寒空にむかってほんとうに困ってしまうと、娘やわたくしが愚痴をこぼして居りますところへ、丁度に旦那がおいでになりまして、外で其の話をお聴きになったのですか、それとも政吉がいたのを妙にお取りになったものですか、門口《かどぐち》で少しばかり口を利いてすぐに出て行っておしまいなさいました。どの道、御機嫌が悪かったようでございましたから、もし万一これぎりになっては大変だと、わたくしがあとで心配して居りますと、政吉も共々に心配いたしまして、自分のことをおかしく思ってのお腹立ちならばまことに迷惑だから、無理にも旦那をよび戻して来て、よくその訳をお話し申すと云って、わたくしが止めるのを肯かずに、提灯を持って出てまいりました」
「むむ、よく判った。それからどうした」
「やがてのことに帰ってまいりまして……」と、お石は少し云いよどんだが、思い切ったように話しつづけた。
「雨は降るし、真っ暗だもんだから、もう旦那のお姿が見えなくなったと申しました。それから……途中でこんなものを拾ったと云って、小判を二枚……」
叔母とお元との愚痴話を先刻から気の毒そうに聴いていた政吉は、その小判を二人のまえに出して、これで移りかえの支度をしてくれと云ったが、正直なお石|母子《おやこ》は不安に思って、どうしてもそれを受け取らなかった。拾った物は授かりものだと云って、政吉が口を酸《すっぱ》くして勧めても、母子は強情に受け取ろうとしなかったので、彼はし
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