引きあわされた政吉という若い男がいて、自分にしきりに酒をすすめたが、こっちは飲めない口であるから堅く辞退した。おいおい寒空にむかって来るから移り替えの面倒を見てくれとお元から頻りに強請《せが》まれたが、それもふところの都合が悪いので断わって出て来た。その帰途に、かれは瓦町の川ばたで災難に逢ったものである。あの辺には河獺が出るというから自分も一旦は河獺の仕業であろうかと思っていたのであるが、家へ帰ってみると、かの五十両を入れた財布がない。して見ると、どうも河獺ではないらしい。よって一応のお届けをいたした次第であると、十右衛門はおずおず申し立てた。
「そのお元というのは幾歳《いくつ》ですね」
「十九になりまして、母と二人暮らしでございます」
「従弟の政吉というのは……」
「二十一二でございましょうか。お元の家へしげしげ出入りしているようでございますが、わたくしはゆうべ初めて逢いましたので、身許なぞもよく存じません」
一と通りの詮議は済んで十右衛門は下げられた。彼の申し立てによると、その疑いは当然お元という十九の女のうえに置かれなければならなかった。従弟の政吉というのは彼女の情夫《いろ》で、十右衛門の懐中に五十両の金をもっているのを知って、あとから尾《つ》けて来て強奪したのであろう。役人たちの鑑定は皆それに一致した。半七もそう考えるよりほかはなかった。併し金がないというだけのことで、すぐにお元を疑うわけにも行かなかった。かれは途中で取り落したかも知れない。よもやとは思っても、駕籠のなかに置き忘れて来たかも知れない。ともかくも中の郷へ行って、そのお元という女の身許を十分に洗った上のことだと半七は思った。
彼はそれからすぐに自身番を出て、十右衛門の疵の手当てをしたという医師をたずねた。そうしてその疵の痕について彼の鑑定を訊きだしたが、医師には確かなことは判らないらしかった。鋭い爪で茨掻《ばらが》きに引っ掻きまわしたのか、あるいは鈍刀《なまくら》の小さい刃物で滅多やたらに突き斬ったのか、その辺はよく判らないとのことであった。殊にこうした刑事問題に対しては後日《ごにち》の面倒を恐れて何事もはっきりとは云い切らない傾きがあるので、半七も要領を得ずに引き取った。
「今日《こんにち》ならば訳のないことなんですがね、昔はこれだから困りましたよ」と、半七老人はここで註を入れて説明した。
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