い》があるだろう。ひとり者じゃあるめえ」
「それが旦那。こういう訳なんでございますよ」と、徳寿は仔細らしく話した。
「おきんは兄貴と二人で暮していたんですが、その兄貴の寅松というのは博奕《ばくち》打ちの道楽者でしてね。おきんのゆくえが知れなくなると、それから半月ばかり経って、これも何処へか夜逃げのように姿を隠してしまいました。なんでも博奕場で喧嘩をして、人に傷をつけたとかいうので、それが面倒になって何処へか飛んで行ってしまったらしいんです。そういうわけですから、家はもう空店《あきだな》になってしまって、二、三日中にほかの人が越して来るとかいう噂でございます」
田町の重兵衛が眼をつけているのは、おきんの問題より恐らくこの寅松に関係している事件であろうと半七は想像した。かれは更に徳寿に訊いた。
「あの辰伊勢の寮にいる誰袖という女も、やっぱり金杉の近所の者だというじゃあねえか。お前、知らねえか」
「存じて居ります。誰袖さんの花魁も金杉の生まれで、やっぱりおきんの近所で育ったんだそうですが、両親《ふたおや》ともにもう死に絶えてしまいまして、これも跡方はございませんよ」
すべての手掛りが断えてしまったので、半七は失望させられた。それでも彼は強情にこの按摩から何かの手蔓《てづる》を探り出そうと試みた。今もむかしも根気が乏しくては出来ない仕事である。
「ねえ、徳寿さん、このあいだ聞いていりゃあ、その誰袖の花魁は大変おまえを贔屓にして、ほかの按摩さんじゃいけねえと云っているというじゃあねえか。おかしなことを訊くようだが、どうしてお前、そんなに花魁の気に入ったんだえ。揉み方の上手ばかりじゃあるめえ。何かほかに訳があるだろう」
「へえ」と、徳寿はにやにや笑っていた。
半七と庄太は顔を見あわせた。なんと思ったか、半七は紙入れから一歩の銀《かね》を出して徳寿の手に握らせた。そうして、ちょいと其処まで来てくれと云って、彼を左側の横町へ連れ込んだ。柳原家の抱え屋敷と安楽寺という寺の間をぬけると、正面には一面の田畑が広く開けていた。田の畔《くろ》を流れる小さい水のはたで、子供が泥鰌《どじょう》をすくっているほかに、人通りもないのを見すまして、半七はまた訊いた。
「おまえ、隠しちゃあいけねえ。こんな野暮なことを云いたくねえが、おれは実はふところに十手を持っているんだ」
徳寿は俄かに顔の色を
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