まえてください」
お登久はいきなり起ちあがって、床の下の戸棚をがらりとあけると、戸棚の隅には若い男の蒼ざめた顔が見えた。案の通りここに隠れていたなと思う間もなく、お登久は男の手をつかんで戸棚からぐいぐいと引き摺り出した。
「千ちゃん。お前さん、よくもあたしをだましたね。商売上で少し筋の悪い品を買って、飛んだ引き合いを食いそうになったから、ちっとの間どこかへ姿を隠すんだと云うから、一昨々日《さきおととい》からこうして隠まって置いてやると、そりゃあ丸で嘘の皮で、市ヶ谷の女と心中しそこなったんだということを今初めて聞いた。今まで人をさんざんだまして置きながら、またその上にそんな嘘をついて……。あんまり口惜《くや》しいから、あたしはお前を引っ張り出して親分さんに渡してやる。さあ、縛られるとも、牢へ入れられるとも、勝手にするが好い」
くやし涙の眼を瞋《いか》らせて、お登久は男の顔を睨みつけると、彼はその眼を避けるように顔をそむけたが、その方角にはまた半七の眼がひかっているので、彼はもういっそ消えてしまいたいように俯伏して、稜毛《のげ》の逆立った古畳に顔を埋めてしまった。
「もうこうなったら仕方がねえ」と、半七は諭《さと》すように云った。「この芝居ももうこれで大詰めだろう。おい、千次郎。正直に何もかも云ってしまえ。自身番まで引き摺って行って、わざわざ引っぱたくのも忌《いや》だから、ここでみんな聞いてやろうぜ」
「恐れ入れました」と、千次郎はもう生きているような顔色はなかった。
「お前はあのおみよという女と心中したんだろう。女はおめえが絞めたのか」
「親分、それは違います。おみよはわたくしが殺したのじゃございません」
「嘘をつけ。女をだますのとは訳が違うぞ。天下の御用聞きの前で嘘八百をならべ立てると、飛んでもねえことになるぞ。人を見て物をいえ。現におみよの書置があるじゃあねえか」
「おみよの書置には心中とは書いてございません。おみよは自分ひとりで死んだのでございます」と、千次郎はふるえながら訴えた。
半七も少しゆき詰まった。心中というのは自分だけの鑑定で、成程おみよの書置に心中ということは書いてないらしかった。併しおみよとこの千次郎とがどうしても無関係とは思われなかった。
「それじゃあ、てめえはどうしておみよの書置の文句を知っている。おみよの死んだそばにいねえで、それが判る
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