ることもあれば、夕方に来ることもある。現に十日《とおか》ほど前にも、千次郎が先に来て待っていると、午《ひる》頃になって娘が来て、日が暮れるころ一緒に帰ったとのことであった。女中たちのいる前では、二人とも恥かしそうな顔をしてちっとも口を利かないので、誰もきょうまでその娘の名を知らないと彼女は云った。
「十日ばかり前に来たときに、その娘は麻の葉絞りの紅い帯を締めていなかったかね」と、半七は訊いた。
「はあ、たしかにそうでございましたよ」
「いや、ありがとう。姐《ねえ》さん、いずれまたお礼に来るぜ」
幾らか包んだものを女中にやって、半七は茗荷屋の門《かど》を出ると、松吉もあとから付いて来てささやいた。
「親分、なるほどちっとは当りが付いて来たようですね。なにしろ、その千次郎という野郎を引き挙げなけりゃあいけますめえ」
「そうだ」と、半七もうなずいた。「だが、素人《しろうと》のことだ。いつまで何処に隠れてもいられめえ、ほとぼりの冷《さ》めた頃にゃあ、きっとぶらぶら出て来るに違げえねえ。てめえはこれから新宿へ行って、その古着屋と師匠の家の近所を毎日見張っていろ」
「ようがす。きっと受け合いました」
松吉に別れて、半七はまっすぐに神田へ帰ろうと思ったが、自分はまだ一度もその現場を見とどけたことがないので、念のために帰途《かえり》に市ヶ谷へ廻ることにした。合羽坂下へ来た頃には春の日ももう暮れかかっていた。酒屋の裏へはいって、格子の外からおみよの家の様子を一応うかがって、それから家主の酒屋をたずねると、御用で来た人だと聞いて、帳場にいた家主も形をあらためた。
「御苦労さまでございます。なにか御用でございますか」
「この裏の娘の家には、その後なんにも変ったことはありませんかね」
「けさほども長五郎親分が見えましたので、ちょっとお話をいたして置きましたが……」
長五郎というのは四谷から此の辺を縄張りにしている山の手の岡っ引である。長五郎がもう手をつけているところへ割り込んではいるのも良くないと思ったが、折角来たものであるから、ともかくも聞くだけのことは聞いて行こうと思った。
「長五郎にどんな話をしなすったんだ」
「あのおみよは人に殺されたんじゃないんです」と、亭主は云った。「おふくろもその当座は気が転倒しているもんですから、なんにも気が付かなかったんですが、きのうの朝、長火鉢のま
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