まって、しずかにこう云い出した。
「そこで、師匠。云うまでもねえこったが、その千次郎という息子は早く探し出さなけりゃあ困るんだろうね」
「ええ。一日でも早い方がいいんです。くどくも申す通り、おっかさんがひどく心配しているんですから」と、お登久はすがるように頼んだ。うす化粧をした彼女の顔に、不安の暗い影がありありと浮かんでいた。
「じゃあ、もう少し深入りして訊きてえことがあるんだが、師匠はどうせここへはいるつもりなんだろうから、おれ達も附き合ってもう一度引っ返そうじゃねえか」
「でも、それじゃあんまりお気の毒ですから」
「なに、構わねえ。さあ、おれが案内者になるぜ」
 半七は先に立って、茗荷屋へ再びはいった。好い加減に酒や肴をあつらえて、お登久と妹に飯を食わせてやったが、やがて時分を見て彼はお登久を別の小座敷へ連れて行った。
「ほかじゃあねえが、今の古着屋の息子の一件だが……。おめえも俺にたのむ以上は、なにもかも打明けてくれねえじゃあ、どうも水っぽくて仕事がしにくいんだが……」
 にやにや笑いながらその顔をのぞき込まれて、お登久は少し酔っている顔をいよいよ紅くした。彼女は小菊の紙でくちびるのあたりを掩いながら俯向いていた。
「おい、師匠。野暮に堅くなっているじゃあねえか。さっきからの口ぶりで大抵判っているが、おめえは行く行くその古着屋の店へ坐り込んで、一緒に物尺《ものさし》をいじくる積りでいるんだろう。ねえ、年が若くって、男が悪くなくって、正直でよく稼ぐ男を、亭主にもって不足はねえ筈だ。まあ、そうじゃあねえか。おめえは芸人、相手は町人、なにも御家の御法度《ごはっと》を破ったという訳でもねえから、そんなに怖がって隠すこともあるめえ。いよいよという時にゃあ、俺だって馴染み甲斐に魚っ子の一尾《いっぴき》も持ってお祝いに行こうと思っているんだ。惚気《のろけ》がまじっても構わねえ、万事正直に云って貰おうじゃねえか。おらあ黙って聞き手になるから」
「どうも相済みません」
「済むも済まねえもあるもんか。そりゃあそっち同士の芝居だ」と、半七は相変らず笑っていた。
「そこで、その千次郎という男は、無論に師匠ひとりを大切に守っているんだろうね。無暗に食い散らしをするような浮気者じゃあるめえね」
「それがどうも判りませんの」と、お登久は妬《ねた》ましそうに云った。「確かな手証は見とどけませ
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