毎日のように町《ちょう》役人の寄合いがあるので、彼は出来るだけ我慢して起きていた。それがどうしても堪えられなくなって、昼から温石《おんじゃく》などで凌《しの》いでいたが、日が暮れると夜の寒さが腹に泌み透って来た。かれは痙攣《さしこみ》の来る下腹をかかえて炉のそばに唸っていた。
「医者様でも呼んで来ようか」
手下の伝七と長作とが見兼ねて云った。
「まあ、もう少し我慢しようよ」
自身番のおやじや番太郎には金作りが多かった。医者の薬礼を恐れる彼は、なるべく買い薬で間にあわせて置きたかったのであるが、夜のふけるに連れて疼痛《いたみ》はいよいよ強くなって、彼はもう慾にも得《とく》にも我慢が出来なくなった。それでも医者を呼ぶのを嫌って、こっちから医者の家へ行こうと云った。
「それじゃあ私が送って行こう」
伝七がついて行くことになった。強い痙攣で、満足には歩けそうもない佐兵衛を介抱しながら、ともかくも表へ出ると、町には夜の霜が一面に降りていた。伝七は病人の手をひいて、隣り町《ちょう》の医者の門をくぐった。医者は薬をくれて、あたたかにして寝ていろと注意した。礼を云って医者の家を出たのは、もう四ツ(午後十時)に近い頃であった。
「御町内はこのごろ物騒だというから、途中もよく気をつけてな」と、帰りぎわに医者が云った。
その親切な注意が二人の胸にはまた一入《ひとしお》の寒さを呼び出した。帰り途にも佐兵衛は手を引かれて歩いた。
「木戸の締まらないうちに早く行こう。番太にあけて貰うのも面倒だから」
風もない、月もない、霜の声でもきこえてきそうな静かな夜であった。町内にももう灯のかげは疎《まば》らであった。佐兵衛は下腹をおさえながら屈《こご》み勝ちにあるいていた。二人は町内にはいって二、三軒も通り過ぎたかと思うと、質屋の天水桶のかげから何かまっ黒な影があらわれた。それが何であるかを認める間もなしに、その黒い物は地を這うように走って来て、いきなり佐兵衛の足をすくった。屈んでいた彼はすぐに滑って倒れた。ふだんからおびえていた伝七はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と云って逃げ出した。
この臆病者の報告を聴いて、長作は棒を持ってこわごわ出て来た。伝七も得物《えもの》をとって再び引っ返して来たが、もうその時には黒い物の影も見えなかった。佐兵衛は転んだはずみに膝を痛めた。まだそのほかに、相手にぶた
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