《もや》につつまれて、鳩の群れもまだ豆を拾いには降りて来なかった。朝まいりの人も少なかった。半七はゆっくり拝んで帰った。
その帰り途《みち》に下谷の御成道《おなりみち》へさしかかると、刀屋の横町に七、八人の男が仔細らしく立っていた。半七も商売柄で、ふと立ちどまってその横町をのぞくと、弁慶縞《べんけいじま》の浴衣《ゆかた》を着た小作りの男がその群れをはなれて、ばたばた駈けて来た。
「親分、どこへ」
「観音様へ朝参りに行った」
「ちょうど好いとこでした。今ここに変なことが持ち上がってね」
男は顔をしかめて小声で云った。かれは下《した》っ引《ぴき》の源次という桶職であった。
「この下っ引というのは、今でいう諜者のようなものです」と半七老人はここで註を入れてくれた。「つまり手先の下をはたらく人間で、表向きは魚やとか桶職とか、何かしら商売をもっていて、その商売のあいまに何か種をあげて来るんです。これは蔭の人間ですから決して捕物などには出ません。どこまでも堅気《かたぎ》のつもりで澄ましているんです。岡っ引の下には手先がいる。手先の下には下っ引がいる。それがおたがいに糸を引いて、巧くやって行くことになっているんです。それでなけりゃあ罪人はなかなかあがりませんよ」
源次はこの近所に長く住んでいて、下っ引の仲間でも眼はし[#「眼はし」に傍点]の利く方であった。それが変な事をいうので、半七も少しまじめになった。
「何だ。なにがあった」
「人が死んだんです。お化け師匠が死んだんです」
お化け師匠――こういう奇怪な綽名《あだな》を取った本人は、水木|歌女寿《かめじゅ》と呼ばれる踊りの師匠であった。歌女寿は自分の姪を幼いときから娘分に貰って、これに芸をみっちり仕込んで、歌女代と名乗らせて自分のあとを嗣《つ》がせるつもりであったが、その歌女代は去年の秋に十八歳で死んだ。お化け師匠の綽名はそれから産み出されたのであった。
歌女寿は今年四十八だというが、年に比べると水々しい垢《あか》ぬけのした女であった。商売柄で若い時には随分浮いた噂もきこえたが、この十年以来は慾一方に凝り固まっているとかいうので、近所の評判はあまり好くなかった。姪を娘分に貰ったのも、ゆくゆく自分の食い物にしようというしたごころから出たのである。傍《はた》から見るとむごたらしいほどに手厳しく仕込んだ。そういう風に、ちいさ
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