けていた。
「いっそおれは浪人する」と、高島は云い出した。彼のうしろにはお吉という女の影が付きまつわっていた。国へ追い返されると、もう彼女に逢えないというのを高島は恐れていた。しかし高島ほど根強い理由をもっていない梶井は、国へ返されるのを恐れながらも、さすがに思い切って浪人する気にもなれなかった。かれは独身者《ひとりもの》の高島と違って、故郷に母や兄や妹をもっていた。
「まあ、そんな短気を出すな」と、彼は高島をなだめていた。しかし今年の春になってから、高島はいよいよその決心を固めたらしく、毎朝屋敷を出るときに、自分の大事の手道具などを少しずつ抱え出して、お吉のもとへそっと運び込んでいるらしかった。そのうちに湯屋の亭主もだんだんに眼をつけ始めた。ここの亭主は岡っ引の手先であるということをお吉もささやいた。この際つまらない疑いなどを受けてはいよいよ面倒と思った彼は、もう落ち着いていられないような心持になって、女と相談してどこへか一緒に姿を隠したらしく、ゆうべは屋敷へ戻って来ないので、梶井も心配して今朝ここへ探しに来たのであった。
 かたき討の理由も、駈落ちの理由も、それですっかり判った。それにしても、高島がお吉に預けて置いた疑問のふた品はなんであろう。
「あれは高島が家重代の宝物でござる」と、梶井は説明した。
 豊臣秀吉が朝鮮征伐のみぎりに、高島が十代前の祖先の弥五右衛門は藩主にしたがって渡海した。その時に分捕りして持ち帰ったのが彼《か》の二品で、干枯《ひから》びた人間の首と得体の知れない動物の頭と――それは朝鮮の怪しい巫女《みこ》が、まじないや祈祷の種に使うもので、殆ど神のようにうやうやしく祀られていたものであった。余り珍らしいので持ち帰ったが、誰にもその正体は判らなかった。ともかくも一種の宝物として高島の家に伝えられていて、藩中でも誰知らぬ者もない。梶井も一度見せられたことがある。今度屋敷を立退くに就いても、まずこの奇怪な宝物をお吉にあずけて置いたものと察せられた。
 泥鮫の方は梶井も知らないと云った。しかし高島の祖父という人は久しく長崎に詰めていたことがあるから、おそらくその当時に異国人からでも手に入れたものであろうとのことであった。泥鮫は金になるから売ってしまったが、他の二品は買い手もない。殊に家に伝わる宝物であるから、女と一緒にかかえて行ったものであろう。人間の首と龍の頭とを抱えて、若い男と女とは何処へさまよって行ったか。思えばおかしくもあり、哀れでもあり、実に前代未聞の道行《みちゆき》というのほかはなかった。
「今でこそ話をすれ、その時にはわたくしも引っ込みが付きませんでしたよ」と、半七老人は再び額を撫でながら云った。「なまじ十手を振り廻したり何かしただけに猶々始末が付きませんや。でも、梶井という武士も案外|捌《さば》けた人で、一緒に笑ってくれましたから、まあ、まあ、どうにか納まりは付きましたよ。片方の高島という武士はそれぎり屋敷へ帰らなかったそうです。お吉も音沙汰がありませんでした。二人は道行を極めて、なんでも神奈川辺に隠れているとかいう噂もありましたが、その後どうしましたかしら。肝腎のかたき討の方は、これもどうなったか聞きませんでしたが、梶井という人は国へも追い返されないで、その後にも湯屋の二階へときどき遊びに来ました。質屋へはいった浪人はまったく別物で、それは後に吉原で御用になりました。明治になってから或る人に訊きますと、そのおかしな人間の首というのは多分|木乃伊《ミイラ》のたぐいだろうという話でしたが、どうですかねえ。なにしろ、よっぽど変なものでした」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
   1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※「「四ッ」と「四ツ」の混在は、底本通りにしました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2002年5月15日作成
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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