か。それじゃあ俺も一ッ風呂泳いで来ようか」
 半七は更に表へ廻って、普通の客のように湯銭を払ってはいると、まっ昼間の銭湯《せんとう》はすいていた。武者絵を描いた柘榴《ざくろ》口のなかで都々逸の声は陽気らしくきこえたが、客は四、五人に過ぎなかった。半七は一と風呂あたたまるとすぐに揚がって来て、着物を肌に引っ掛けたままで二階へあがると、熊蔵もあとからそっと付いて来た。
「あの、水槽《みずぶね》に近いところにいた奴だろう」と、半七は茶を飲みながら訊いた。
「そうです、あの若けえ野郎です」
「あれは偽者じゃあねえ」
「ほんとうの武士《さむれえ》でしょうか」
「足を見ろ」
 武士は常に重い大小をさしているので、自然の結果として左の足が比較的に発達している。足首も右より大きい。裸でいるところを見届けたのだから間違いはないと半七は云った。
「じゃあ、御家人でしょうか」
「髪の結いようが違う。やっぱり何処かの藩中だろう」
「なるほど」と、熊蔵はうなずいた。「そこで親分。きょうは彼奴《あいつ》らが何だか風呂敷包みのようなものを重そうに抱えて来て、お吉に預けている処をちらりと見たんですが。ちょいと検《あらた》めて見ましょうか」
「そういえば、お吉は見えねえようだが、どうした」
「今時分は閑《ひま》なもんだから、子供のように表へ獅子舞を見に行ったんですよ。ちょうど誰もいねえから一応あらためて置きましょう。又どんな手がかりが見付からねえとも限りませんから」
「そりゃあそうだ」
「なんでもお吉が受け取って、貸し切りの着物棚のなかへ押し込んだようでしたが……。まあ、お待ちなせえ」と、熊蔵はそこらの戸棚を探して、一つの風呂敷包みを持ち出して来た。濃い藍染めの風呂敷をあけると、中には更に萠黄の風呂敷につつんだ二個の箱のようなものが這入っていた。
「ちょいと下を見てきますから」
 熊蔵は階子《はしご》を降りて、又すぐに昇って来た。
「あいつがもし湯から揚がったら、咳払いをして知らせるように、番台の奴に云いつけて置きましたから大丈夫です」
 二重につつんだ風呂敷の中からは、一種の溜め塗りのような古い箱が二個あらわれた。箱は能楽の仮面《めん》を入れるようなもので、底から薄黒い平打ちの紐《ひも》をくぐらせて、蓋《ふた》の上で十文字に固く結んであった。幾分の好奇心も手伝って、熊蔵は急いでその一つの箱の紐を解
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