びに来る男があるんです。変な奴でしてね、どう考えてもおかしな奴なんです」
 三馬の浮世風呂を読んだ人は知っているであろう。江戸時代から明治の初年にかけては大抵の湯屋に二階があって、若い女が茶や菓子を売っていた。そこへ来て午睡《ひるね》をする怠け者もあった。将棋を差している閑人《ひまじん》もあった。女の笑顔が見たさに無駄な銭を遣いにくる道楽者もあった。熊蔵の湯屋にも二階があって、お吉という小綺麗な若い女が雇われていた。
「ねえ、親分。それが武士《さむれえ》なんです。変じゃありませんか」
「変でねえ、あたりまえだ」
 武士が銭湯に入浴する場合には、忌《いや》でも応でも一度は二階へあがって、まず自分の大小をあずけて置いて、それから風呂場へ行かなければならなかった。湯屋の二階には刀掛けがあった。
「けれども、毎日欠かさずに来るんですぜ」
「勤番者《きんばんもの》だろう。お吉に思召《おぼしめ》しでもあるんだろう」と、半七は笑った。
「だって、おかしいじゃありませんか。まあ聴いておくんなせえ。去年の冬からかれこれもう五十日も毎日つづけて来るんですぜ。大晦日《おおみそか》でも、元日でも、二日でも……。なんぼ勤番者だって、屋敷者が元日二日に湯屋の二階にころがっている。そんな理窟がねえじゃありませんか。おまけに、それが一人でねえ、大抵二人連れでやって来て、時々どこかへ出たり這入ったりして、夕方になるときっと一緒に繋がって帰って行く。それが諄《くど》くもいう通り、暮も正月もお構いなしに、毎日続くんだから奇妙でしょう。どう考えてもこりゃあ尋常の武士じゃありませんぜ」
「そうよなあ」と、半七は少しまじめになって考えはじめた。
「どうです。親分はそいつ等をなんだと思います」
「偽者《にせもの》かな」
「えらい」と、熊蔵は手を拍《う》った。「わっしもきっとそれだと睨んでいるんです。奴らは武士の振りをして何か仕事をしているに相違ねえんです。で、昼間は私の家の二階にあつまって、何かこそこそ相談をして置いて、夜になって暴《あら》っぽいことをしやがるに相違ねえと思うんだが、どうでしょう」
「そんなことかも知れねえ。その二人はどんな奴らだ」
「どっちも若けえ奴で……。一人の野郎は二十二三で色の小白い、まんざらでもねえ男っ振りです。もう一人もおなじ年頃の、片方よりは背の高い、これもあんまり安っぽくねえ野郎
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