親類の身になったら、逆《さか》磔刑にしても飽き足らねえと思召すでもございましょうが、どんなむごい仕置きをしたからと云って、死んだ若旦那が返るという訳でもございませんから、これも何かの因縁と思召して、和吉の後始末はまあ好いようにしてやって下さいまし」
「重ね重ねありがとうございます」
「だが、旦那、このことは無論内分にいたしますが、江戸中にたった一人、正直に云って聞かせなけりゃあならない者がございますから、それだけは最初からお断わり申して置きます」と、半七は男らしく云った。
「江戸じゅうに一人」と、十右衛門は不思議そうな顔をした。
「この席じゃあちっと申しにくいことですが、下谷にいる文字清という常磐津の師匠です」
 和泉屋の夫婦は顔をみあわせた。
「あの女も今度のことについては、いろいろ勘違いをしているようですから、得心《とくしん》の行くように私からよく云って聞かせなけりゃあなりません」と、半七は云った。「それから余計なお世話ですが、若旦那のお達者でいるあいだは又いろいろ御都合もございましたろうが、もう斯《こ》うなりました上は、あの女にもお出入りを許してやって、ちっとは御面倒を見てやって下さいまし。あの年になっても亭主を持たず、だんだん年は老《と》る、頼りのない女は可哀そうですからねえ」
 半七にしみじみ云われて、おかみさんは泣き出した。
「まったくわたしが行き届きませんでした。あしたにも早速たずねて行って、これからは姉妹《きょうだい》同様に附き合います」

「すっかり暗くなりました」
 半七老人は起って頭の上の電燈をひねった。
「お冬はその後も和泉屋に奉公していまして、それから大和屋の媒妁《なこうど》で、和泉屋の娘分ということにして浅草の方へ縁付かせました。文字清も和泉屋へ出入りをするようになって、二、三年の後に師匠をやめて、やはり大和屋の世話で芝の方へ縁付きました。大和屋の主人は親切な世話好きの人でした。
 和泉屋は妹娘のお照に婿を取りましたが、この婿がなかなか働き者で、江戸が東京になると同時に、すばやく商売替えをして、時計屋になりまして、今でも山の手で立派に営業しています。むかしの縁で、わたくしも時々遊びに行きますよ。
 八笑人でもお馴染みの通り、江戸時代には素人のお座敷狂言や茶番がはやりまして、それには忠臣蔵の五段目六段目がよく出たものでした。衣裳や道具がむずかしくない故《せい》もありましたろう。わたくしもよんどころない義理合いで、幾度も見せられたこともありましたが、この和泉屋の一件があってから、不思議に六段目が出なくなりました。やっぱり何だか心持がよくないと見えるんですね」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
   1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年5月10日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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