ましたよ」
 そういうわけで、町奉行所から公然認められているのは少数の小者即ち岡っ引だけで、多数の手先は読んで字のごとく、岡っ引の手先となって働くに過ぎない。従って岡っ引と手先とは、自然親分子分の関係をなして、手先は岡っ引の台所の飯を食っているのであった。勿論、手先の中にもなかなか立派な男があって、好い手先をもっていなければ親分の岡っ引も好い顔にはなれなかった。
 半七は岡っ引の子ではなかった。日本橋の木綿店《もめんだな》の通い番頭のせがれに生まれて、彼が十三、妹のお粂《くめ》が五つのときに、父の半兵衛に死に別れた。母のお民は後家《ごけ》を立てて二人の子供を無事に育てあげ、兄の半七には父のあとを継《つ》がせて、もとのお店に奉公させようという望みであったが、道楽肌の半七は堅気の奉公を好まなかった。
「わたくしも不孝者で、若い時には阿母《おふくろ》をさんざん泣かせましたよ」
 それが半七の懺悔《ざんげ》であった。肩揚げの下りないうちから道楽の味をおぼえた彼は、とうとう自分の家を飛び出して、神田の吉五郎という岡っ引の子分になった。吉五郎は酒癖のよくない男であったが、子分たちに対しては親切に面倒を見てくれた。半七は一年ばかりその手先を働いているうちに、彼の初陣《ういじん》の功名をあらわすべき時節が来た。
「忘れもしない天保|丑《うし》年の十二月で、わたくしが十九の年の暮でした」
 半七老人の功名話はこうであった。

 天保十二年の暦《こよみ》ももう終りに近づいた十二月はじめの陰《くも》った日であった。半七が日本橋の大通りをぶらぶらあるいていると、白木の横町から蒼い顔をした若い男が、苦労ありそうにとぼとぼと出て来た。男はこの横町の菊村という古い小間物屋の番頭であった。半七もこの近所で生まれたので、子供の時から彼を識《し》っていた。
「清さん、どこへ……」
 声をかけられて清次郎は黙って会釈《えしゃく》した。若い番頭の顔色はきょうの冬空よりも陰っているのがいよいよ半七の眼についた。
「かぜでも引きなすったかえ、顔色がひどく悪いようだが……」
「いえ、なに、別に」
 云おうか云うまいか清次郎の心は迷っているらしかったが、やがて近寄って来てささやくように云った。
「実はお菊さんのゆくえが知れないので……」
「お菊さんが……。一体どうしたんです」
「きのうのお午《ひる》すぎに仲働きの
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