るのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。かれは神田の半七という岡っ引で、その妹は神田の明神下で常磐津の師匠をしている。Kのおじさんは時々その師匠のところへ遊びにゆくので、兄の半七とも自然懇意になった。
半七は岡っ引の仲間でも幅利きであった。しかし、こんな稼業の者にはめずらしい正直な淡泊《あっさり》した江戸っ子風の男で、御用をかさに着て弱い者をいじめるなどという悪い噂は、かつて聞えたことがなかった。彼は誰に対しても親切な男であった。
「相変らず忙がしいかね」と、おじさんは訊いた。
「へえ。きょうも御用でここへちょっとまいりました」
それから二つ三つ世間話をしている間に、おじさんは不図《ふと》かんがえた。この半七ならば秘密を明かしても差支えはあるまい、いっそ何もかも打明けて彼の知恵を借りることにしようかと思った。
「御用で忙がしいところを気の毒だが、少しお前に聞いて貰いたいことがあるんだが……」と、おじさんは左右を見まわすと、半七は快くうなずいた。
「なんだか存じませんが、ともかくも伺いましょう。おい、おかみさん。二階をちょいと借りるぜ。好いかい」
彼は先に立って狭い二階にあがった。二階は六畳ひと間で、うす暗い隅には葛籠《つづら》などが置いてあった。おじさんも後からつづいてあがって、小幡の屋敷の奇怪な出来事について詳しく話した。
「どうだろう。うまくその幽霊の正体を突き止める工夫《くふう》はあるまいか。幽霊の身許《みもと》が判って、その法事供養でもしてやれば、それでよかろうと思うんだが……」
「まあ、そうですねえ」と、半七は首をかしげてしばらく考えていた。「ねえ、旦那。幽霊は、ほんとうに出るんでしょうか」
「さあ」と、おじさんも返事に困った。「まあ、出ると云うんだが……。私も見たわけじゃない」
半七はまた黙って煙草をすっていた。
「その幽霊というのは武家の召使らしい風をして、水だらけになっているんですね。早く云えば皿屋敷のお菊をどうかしたような形なんですね」
「まあ、そうらしい」
「あの御屋敷では草双紙のようなものを御覧になりますか」と、半七はだしぬけに、思いも付かないことを訊いた。
「主人は嫌いだが、奥では読むらしい。じきこの近所の田島屋という貸本屋が出入りのようだ」
「あのお屋敷のお寺は……」
「下谷の浄円寺だ」
「浄円寺。へえ、そうですか」と、半七はにっこり笑った。
「なにか心当りがあるかね」
「小幡の奥様はお美しいんですか」
「まあ、いい女の方だろう。年は二十一だ」
「そこで旦那。いかがでしょう」と、半七は笑いながら云った。「お屋敷方の内輪《うちわ》のことに、わたくしどもが首を突っ込んじゃあ悪うございますが、いっそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。二、三日の内にきっと埒《らち》をあけてお目にかけます。勿論、これはあなたとわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから」
Kのおじさんは半七を信用して万事を頼むと云った。半七も受け合った。しかし自分は飽くまでも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を引き受けているのであるから、その結果を小幡の屋敷へ報告する都合上、御迷惑でも明日《あした》からあなたも一緒に歩いてくれとのことであった。どうで閑《ひま》の多い身体《からだ》であるから、おじさんもじきに承知した。商売人の中でも、腕利きといわれている半七がこの事件をどんなふうに扱うかと、おじさんは多大の興味を持って明日を待つことにした。その日は半七に別れて、おじさんは深川の某所に開かれる発句の運座《うんざ》に行った。
その晩は遅く帰ったので、おじさんは明くる朝早く起きるのが辛かった。それでも約束の時刻に約束の場所で半七に逢った。
「きょうは先ず何処へ行くんだね」
「貸本屋から先へ始めましょう」
二人は音羽の田島屋へ行った。おじさんの屋敷へも出入りするので、貸本屋の番頭はおじさんを能《よ》く知っていた。半七は番頭に逢って、正月以来かの小幡の屋敷へどんな本を貸し入れたかと訊いた。これは帳面に一々しるしてないので、番頭も早速の返事に困ったらしかったが、それでも記憶のなかから繰り出して二、三種の読本《よみほん》や草双紙の名をならべた。
「そのほかに薄墨草紙という草双紙を貸したことはなかったかね」と、半七は訊いた。
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したように覚えています」
「ちょいと見せてくれないか」
番頭は棚を探して二冊つづきの草双紙を持ち出して来た。半七は手に取ってその下の巻をあけて見ていたが、やがて七、八丁あたりのところを繰り拡げてそっとおじさんに見せた。その※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 絵は武家の奥方らしい女が座敷に坐っていると、その縁先に腰元風の若い女がしょ
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