にが不足で暇を取りたいのか。」
 叱つても諭《さと》しても手堪《てごた》へがないので、松村も考へた。よもやとは思ふものゝ世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がゐる。近所|隣《となり》の屋敷にも次三男の道樂者がいくらも遊んでゐる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違ひでも仕出來《しでか》して、自分から身を退かなければならないやうな破滅に陥つたのではあるまいか。かう思ふと、兄の詮議はいよいよ嚴重になつた。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考へがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行つて、主人の目の前で何も彼も云はしてみせる。さあ一緒に來いと、襟髪《えりがみ》を取らぬばかりにして妹を引き立てようとした。
 兄の權幕《けんまく》があまり激しいので、お道も流石《さすが》に途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いて謝つた。それから彼女が泣きながら訴へるのを聞くと、松村は又驚かされた。
 事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片附けた晩のことであつた。お道の枕もとに散らし髪の若い女が眞蒼な顔を出した。女は水でも浴びたやうに、頭から着物までびしよ濡れになつ
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